Milindaの書斎

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読みました 24


猪瀬直樹『新版 昭和16年夏の敗戦』を読みました。

昭和16年夏の敗戦-新版 (中公文庫 (い108-6))

昭和16年夏の敗戦-新版 (中公文庫 (い108-6))


総力戦研究所って何?

この本では、太平洋戦争直前の「総力戦研究所」の活動を丁寧に描いています。


総力戦研究所が何を研究していたのかは名前のとおりですし、ネット辞書にも詳しい説明があるのでそちらに譲ります。

日本が国家総力戦をいかに戦うか研究していたんだな、ということと、メンバー構成に以下のような特徴があったことを押さえていただければ十分だと思います。

  • 軍人だけでなく文官や民間人まで幅広い分野の人材が集められた。
  • ほとんどが30代の若手だった。


総力戦研究所は「日米開戦したら必敗」という結論を導き出します。しかし、彼らのプレゼンを見た当時の陸軍大臣東條英機は、上の記事にもあるように否定的な反応を示します。

これについて猪瀬氏は「東條の正確な発言はどこにも記録されていない。関係者の記憶から再現されたものである」といっていますが、とにかく総力戦研究所の見立てを素直に受け取らなかったのは確かなようです。


そして日米交渉が決裂に終わり、太平洋戦争へと至るわけですが、戦局の推移はほぼ総力戦研究所のレポートどおりになったとされています。東條の言ったことは的外れもいいところでした。総力戦研究所の正しさが証明されたわけです。

総力戦研究所は「追放された系主人公」なのか?

この東條と総力戦研究所のエピソードをもって「若きエリートたちは未来を見抜いていたのに、頭の硬い老害軍人どもが聞き入れなかったのだ」という物語が、よく語られます。

しかし、それは本当に正しいのだろうか? 安易で一面的な見方なのではないか? と問題提起しているのが、猪瀬氏の『昭和16年夏の敗戦』です。

前置きが長くなりすぎて疲れたので、もう箇条書きします(ぉぃ)

  • 本書の前半部を読む限り、総力戦研究所の活動もけっこう迷走していたように思える。開戦が迫っているのに「総力戦て何だろう?」と定義から考えているような状態。研究の方法自体を手探りで研究していたような印象。
  • 上はあくまで私の個人的な印象だが、猪瀬氏も「産んだら産みっぱなしだった総力戦研究所には産婆がいても乳母がいなかった」と述べている。研究所を開設してはみたものの、どんな組織にするかは行き当たりばったりだったということ。
  • 猪瀬氏は次のような厳しい評価も下している。

ただ彼らは早い時期に日本必敗を予感していた。しかし、その見通しを、現実になにかに生かそうという算段はほとんどしていない。その点で、あの十六年十月十八日に総理大臣になった東條英機と、ある意味では共通のメンタリティーを持っていたことになる。わかっていても"勢い"に押し流されていくしかない。(p246)

  • また、総力戦研究所のメンバーで後に政治家になった者は一人もいなかった。猪瀬氏はそれを残念がっている。経験を活かすべきだったのに、と。後に猪瀬氏が都知事になったことと関係があるのかな? 別にないか。
  • 東條のよく知られた発言(戦争は机上の空論で割り切れぬ云々)は総理大臣になる前のものである。そして上述したように一次記録がない。総理になってからの東條は天皇の意図を忖度し、戦争回避派だった。
  • 結局、誰かが無能だったとか誰かが独裁していたとかいうより、「バラバラなのに全員一致という体面だけを求めた」ことに問題があったようだ。報告や数字は全員一致に都合のいいときだけ使われ、都合の悪いときは無視された。少なくとも猪瀬氏はそう見ている。

昭和16年夏の敗戦-新版 (中公文庫 (い108-6))

昭和16年夏の敗戦-新版 (中公文庫 (い108-6))