Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

蔵書整理 2


蔵書整理をしていると凄く虚しい気持ちになってきます。
読みきれるはずがないと分かっているのに、どうして過去の自分はこんなに本を買ったのだろう?
そんな疑問にとらわれます。

答えはおそらく、本を読むこと自体が好きなんじゃなくて「買う自分が好き」だったからでしょう。「本を買うオレかっけー」と思えた時点で目的が達成されていたので、別に読みきる必要はなかったわけですね。

じゃあ、自分が好きなことって何なんだろう。

ないのかもしれないな。

結局、ひたすら自意識を満足させるためだけに生きてきて、対象を本気で好きになったことがないのかもしれない。

しかし「本を買うオレかっけー」と思い込みたいということは、本当は自尊心が低いわけですよね。自尊心が足りているなら、わざわざ「オレ凄い! オレかっけー!」って自分に言い聞かせる必要ないから。

だから、何か好きなことを見つける前に自尊心を適切なラインまで引き上げてやる必要があるのかもしれないけど。
ただ、それも方法が分からないな。この年齢からどうやればいいのか。

手っ取り早いのはやっぱり宗教かドラッグですかねぇ、はっはっは。

真面目な話をすると、確実に効果があるのはお金(という形での他人からの評価)でしょうね。
好きなことをやってなおかつ大儲けしたいなんて贅沢はいいませんが、好きなことをやって(例えばこのブログを収益化して)お小遣い程度のお金でももらえたら、だいぶ気持ちが楽になるとは思います。これは額の大小の問題ではありません。
いまのところは収益化なんて夢物語ですが。


まあ、それはともかく。
海老沢泰久『帰郷』を読みました。ただし表題作だけ。

海老沢先生の端正な文体は昔から評価が高いです。向井敏丸谷才一といった方々が褒めています。
あらためて読み直しても、上手いなという印象は変わりません(華麗な文章を書く上手さではなく、簡潔に過不足なく書く上手さ)。

ただ、自分が書き手として真似をするべきかというと、どうなんだろうなぁ、という気もします。
昔は「海老沢先生の文章は上手い! よし、俺もこんな風に書こう!」と無邪気に思い込むことができたのですが。

帰郷 (文春文庫)

帰郷 (文春文庫)



昨日は「本の感想を書いてもアウトプットの練習にはならない」といいましたが、じゃあ何が練習になるんだ、ということについて私の考えを書いておきます。

まず、論文や報告書などを書くのであれば練習は特に要らないと思います。書くべきこと(実験結果や調査結果)が何かしらあるはずなので、それが誤解なく伝わるように書けば十分ではないでしょうか。上手く書くことは要求されません。

詩や小説などを書きたいならば、暗唱や筆写をするのがよいと思います。私自身は暗唱が不得意なので、筆写をよくやります。いや、たまにやるくらいかな。
世の中には他にもたくさんの練習法があるでしょうが、これは確実に効果があったぞ、と自分の経験からいえるのは筆写だけです。なので、「一般論ではなくお前の考えをいえ」といわれたら「筆写だよ」と答えます。

あとは読む量を増やして「常に自分より上手い人の文章に触れる」くらいじゃないかなぁ。ここ1年くらいずっと読書の量が少なかったんだけどね。