Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

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关于《左传》在维基百科中引用:

钱穆与章太炎认为《左传》的成书与卫国左氏人吴起有关,甚至就是吴起所著,今人童书业亦认为是吴起所作,郭沫若也主张《左传》成书于吴起。
赵光贤认为是战国时鲁国人左氏所作。
卫聚贤认为《左传》作者是子夏。

※引用に当たって適宜改行した。以下同じ。

春秋左氏伝についてWikipediaから引用する。

銭穆と章太炎*1は、春秋左氏伝の成立に兵法家の呉起が関係している、ひいては著者も呉起ではないか、と考えた。呉起は衛国の左氏(地名)出身だからである。
現代の学者である童書業もまた呉起の著作と考え、郭沫若呉起が関係していると主張する。
趙光賢は戦国時代の魯国の左氏が書いたと考えている。※昔からの俗説に戻っている。しかし「左氏=左丘明」と考えているわけではないのか?
衛聚賢は孔子の弟子の子夏が著書だと考えている。

现在一般认为《左传》非一时一人所作,成书时间大约在前375年至前351年(战国中期),是由战国时的一些学者编撰而成,崔述主张“上距定、哀未远,亦不得以为战国后人也”。
其中主要部分的史料可能最初是左丘明所写。浙江大学收藏的《左传》公布后,并没有解决《左传》的成书年代,反而在浙江大学收藏的竹简真伪问题上引发了多方笔战。

現在は一般的に、春秋左氏伝は一度に一人の手で書かれたものではない、と考えられている。成立した時期はおよそ紀元前375年から前351年(戦国時代の中期)であり、何人かの学者が編纂したものとみられる。清朝時代の崔述は「魯国の哀公(前467年没)の時代から左伝の成立までにそれほど時間は経っていない。戦国時代よりも後に左伝が成立したわけではない」と主張した。※崔述の言ったことについては訳に自信なし。
左伝の主要部分を最初に書いたのは、伝説のとおり左丘明なのかもしれない。浙江大学所蔵の竹簡が公開された後も、成立年代は明らかになっていない。反対に竹簡の真偽について多方面で論争を呼んでしまった。


姑娘身体好些了。
娘は少し体の具合がよくなった。

这本书确实难了。
この本は確かに難しい。

这本书确实难了一些。
この本は確かに少し難しい。
→「形容詞+了」の後に数量表現をつけることができる。

这本书比哪本书难了两倍。
この本はあの本の二倍難しい。

*1:太炎は号。本名は学乗、後に炳麟と改名した。日本語版Wikipediaでは章炳麟が項目名となっている。しかし太炎、学乗、炳麟ってどれも凄い名前だねぇ。