Milindaの書斎

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关于日本的科举制度,在维基百科中有这样的记述。

日本是最早仿行中国科举的国家,同时实行科举制时间也是最短的。
日本在8、9世纪时开始仿照唐朝的科举制度举办贡举,701年的大宝令颁布后,贡举制度确立,分为秀才、明经、进士、明法四科和医、针二科,其中以秀才科为盛。

日本の科挙制度についてWikipediaにはこうある。

日本は最も早く中国の科挙を模倣した国であるが、同時に科挙を実施した期間が最も短い国でもある。
唐の制度である「貢挙」が8、9世紀の日本で参考にされ始め、701年の大宝律令の発布の後に科挙制度が確立した。秀才科、明経科、進士科、明法科の4科に加え、医科、針科の2科が設置された。中でも秀才科がエリートコースだった。


这样的记述又有。

然而,日本实施科举的时代,正处于贵族势力上升的时期。具有平等精神的科举制度与贵族传统存在巨大冲突,因而难以在日本生根。自大宝令公布,实施贡举后的一百年内,较受重视的秀才、明经二科的及第者只有数十个。由于贵族干政、学官世袭,到10世纪以后,进士科已经废绝,科举基本上为贵族所把持,并且也不是依据才学高下,而是以资历名望,致使科举日渐流于形式化和世袭化。

次のような記述もある。

しかし、日本で科挙が実施された時代は、まさに貴族の勢力が拡大した時期に当たる。科挙制度の持つ平等の精神と貴族の伝統とが激しく衝突し、日本に科挙が根づくことは難しかった。大宝律令が公布されてから貢挙が実施された百年ほどの間、秀才科がたいへん重視され、明経二科の及第者は通算で数十人ほどしかいなかった。貴族が政治を行ったことにより官位は世襲となり、十世紀にはすでに進士科が廃止されていた。科挙は主に貴族に独占され、能力の高低よりも年功や名望こそが評価基準だった。結果として日増しに形式化と世襲化を招いたのである。


弟弟不挣钱,却很能花钱。
弟は稼ぎもないのに金遣いが荒い。

弥兰不能理解母语者的感觉,却做英文。他说:“我不想装腔作势。反正拿教功课营生,所以要自己也成长,不是吗?"
ミリンダはネイティブの感覚も分からないのに英作文をする。彼が言うには「カッコつけたいわけじゃないんだよ。どうせ勉強を教えて生計を立てるなら、自分も成長したいでしょ」とのことだ。