Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

自分用メモ44


まだ10月を振り返るのは早いですが、つらつらと現在の気持ちを書き綴っておこうと思います。

一言で言うと「疲れた」です。
近頃は短歌を作ったり、詰将棋を作ったりしています。もちろん楽しいからやっているのですが、さすがにちょっと手を広げすぎかな、とも感じます。もともと外国語の練習をしたり国語や数学の問題を作ったりしていたところなので、時間が足りません。

振り返ってみると、ブログの記事数は330を超えています。
一体、自分はなぜせっせとブログを更新しているのでしょうか。
最初は「書く」という作業に慣れるためのつもりでした。それが自分の夢である作家への助走になると信じていました。外国語の練習を始めたのも、最終的に母国語の文章力を上げるためです。
過去の記事で「書くことは私の人生です」と言ったこともあります。「自分が心から納得できる文章を書くには、小説というジャンルしかない」と言ったこともあります。「小説というマインドスポーツのアスリートになりたい」と言ったこともあります。

それらの気持ちに、いずれも嘘はありません。いまでも同じことを考えています。
ただ、一方で「要するに自分はマインドスポーツのアスリート(っぽいもの)になりたいのだから、種目は小説じゃなくてもいいのかな」という気持ちが芽生えているのも事実です。

マインドスポーツと言ったって、もちろん私がこの年齢から囲碁や将棋で大成できるはずもありません。目指すのはあくまでアスリート「っぽいもの」です。長距離走をやる人すべてがオリンピックに出られるわけではありませんが、市民マラソンで自分の限界に挑むことはできます。それと同じことです。

詰将棋は解くのも作るのももちろんマインドスポーツです。短歌も私の感覚ではスポーツに近いです。
同じ文芸でも、小説よりは短歌や俳句のほうがよほどスポーツに近いと思います。音数や季語などのルールがはっきりしているし、反復練習で自分の上達を実感することができます(放送大学短歌会の活動はまあまあ順調です)。
さらにスポーツでいう「1試合」が非常に短いので、つまり1つの短歌は短いので、読む側がすぐに読み終えてくれます。するとフィードバックを得やすくなります。

小説は短編でも完成させるのに時間がかかります。短期間で反復して技術が身に付くということがなかなかないし、上達を実感できるまで続けるにはよっぽどの根気が必要です。
しかも、読む側にも一定以上の時間が必要ですから、見ず知らずの作者が書いたものを最後まで読んでくれる人はなかなかいません。フィードバックを得るまでのハードルがかなり高いです(少なくとも短歌に比べて)。
まあ、それは結局、私が小説に向いていなかったということなのかもしれませんが……。

また、学校の勉強もある意味ではスポーツです。特に数学や現代文は知識よりも思考の比重が大きいので、よりマインドスポーツに近いと思います。問題を作る側に立つとなると、なおさらです。

他に自分に向いていそうな種目がいくつかあるのに、果たして小説を書く必要なんてあるのか? それは得意な人たち、毎日書いても苦にならない人たちに任せておけばいいのではないか?
そのような感情は、否定しきれません。

つまるところ、自分は小説というものがあまり好きではなかったのかもしれません。好きだと思い込んでいただけで。
文章表現には興味があっても、きっとストーリーには興味がなかったのでしょう。

純粋に表現だけを追求したいなら、短歌で十分です。
そして、表現の意味や根拠を深くまで考えることは、数学や詰め将棋にも通じます。他人には「こいついきなり短歌を作り出したり詰将棋を作り出したりして何がしたいんだ」という印象を与えるかもしれませんが、私の中では根が繋がっていることなのです。

では、なぜ自分は小説が好きだと思い込めたのでしょうか。小説家になりたいと思い込めたのでしょうか。
たぶん、理由は「学生の頃に一番得意な科目が国語だったから」。たったそれだけです。そんな薄弱な根拠で、いままで自分の適性を勘違いし続けてきたのではないか。若いころの自分は何を考えていたのだろう。自分の向き不向きをもっと早いうちに真剣に考えればよかった。最近はそう自問することもあります。

取り止めがなくなってきたので、この辺でやめにしておきましょう。冒頭の「疲れた」という話から、ずいぶん遠いところに来てしまいました。
その疲れは肉体的なものだけでなく、きっと精神的なものもあるのでしょう。