Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

Composition 110 プロ倫


今回は英訳注6を主に訳します。その前後の本文も再掲しておきます。

A spatial separation of places of work from those of residence exists elsewhere, as in the Oriental bazaar and in the ergasteria of other cultures.
The development of capitalistic associations with their own accounts is also found in the Far East, the Near East, and in antiquity.
But compared to the modern independence of business enterprises, those are only small beginnings.
The reason for this was particularly that the indispensable requisites for this independence, our rational business book-keeping and our legal separation of corporate from personal property, were entirely lacking, or had only begun to develop (NOTE 6).
The tendency everywhere else was for acquisitive enterprises to arise as parts of a royal or manorial household (of the oikos), which is, as Rodbertus has perceived, with all its superficial similarity, a fundamentally different, even opposite, development.

NOTE 6:
Naturally the difference cannot be conceived in absolute terms.
The politically oriented capitalism (above all tax-farming) of Mediterranean and Oriental antiquity, and even of China and India, gave rise to rational, continuous enterprises whose book-keeping—though known to us only in pitiful fragments— probably had a rational character.
Furthermore, the politically oriented adventures' capitalism has been closely associated with rational bourgeois capitalism in the development of modern banks, which, including the Bank of England, have
for the most part originated in transactions of a political nature, often connected with war.

The difference between the characters of Paterson, for instance—a typical promoter—and of the members of the directorate of the Bank who gave keynote to its permanent policy, and very soon came to be known as the "Puritan usurers of Grocers' Hall", is characteristic of it.
Similarly, we have the aberration of the policy of this most solid bank at the time of the South Sea Bubble.
Thus the two naturally shade off into each other.
But the difference is there.
The great promoters and financiers have no more created rational organization of labor than—again in general and with individual exceptions—those other typical representatives of financial and political capitalism, the Jews.
That was done, typically, by quite a different set of people.

(拙訳)
 仕事の場を住居から空間的に分離する工夫はどこにでもあった。オリエントのバザールや、銀鉱山のように。
 また、独自の会計制度を持つ資本主義的な集団の発展は、極東にも、中東にも、ギリシャ・ローマにも見られる。
 しかし近代企業の独立性に比べると、それらは小さな始まりに過ぎなかった。
 というのも、この独立性のために必須の要素——つまり合理的な複式簿記と、私有財産と企業との法的な分離——が、全面的に欠けているか、ようやく発展を始めただけだからである(英訳注6)。
 近代西洋以外の場所では、どこであっても、王室や領主の私有財産の一部として企業が生じる傾向にある。ロードベルトゥスが気づいたように、それらには(近代の企業との?)表面的な類似と、本質的な違い、正反対ですらあるほどの違いがあった。

英訳注6:
 近代的な資本主義とそれ以外の資本主義との違いは、もちろん絶対的な概念ではない。そのように絶対的な概念として違いが捉えられることは、本質的にはあり得ない*1
 古代の地中海地方やオリエントの、さらには中国やインドの、政治的に方向づけられた資本主義(とりわけ徴税請負)は、合理的で継続的な企業の起源である。その簿記の方法はほんの断片しか知られていないが、おそらく合理的な性格を持っていた。
 さらには、政治的に方向づけられた冒険家の資本主義は、近代的な銀行の発展における合理的なブルジョワ資本主義と、密接に結びついてきた。近代的な銀行の大部分——イングランド銀行を含めて——は、戦争と結びついた政治的性質の交易を起源とする。
 例えばパターソン*2は典型的な投機家であり、イングランド銀行の他の理事たちとは性格を異にしていた。彼はパナマへの投機で大失敗した。一方、他の理事は銀行に永久保険*3という基本方針を与え、それはすぐに「グロッサーズ・ホールのピューリタン金融」*4として知られるようになった。
 同様に、最も堅実な銀行がポリシーから脱線してしまう例は、南海泡沫事件*5でも見られる。
 このように両者の境は本質的に曖昧なものである。
 しかし、やはりそこには違いがある。
 偉大な投機家や金融家でも、個々の例外を除いては、合理的な労働組織を作り出してこなかったのだ。金融的で政治的な資本主義の代表者とされるユダヤ人でも、他の民族でも、その事情は同じだ。
 労働の合理的な組織化は、投機家と非常に異なった人々によって成されたのである。


【雑感】
過去に出てきた「労働の合理的な組織化」というキーワードが、今回も出てきました。
これと「自由労働」という2つの概念が、ウェーバーのの考える近代資本主義の特徴と言えそうです。まだ他にも出てくるかもしれませんが。


それにしても、音声入力が便利すぎてヤバいですね。私の発音は上手くないので半分くらいの単語が誤認識されてしまいますが(typical と difficult を間違えられるレベル)それでもキーボードで一語一語を正確に打ち込むより、音声入力してから誤字を直すほうが速いです。

まあ、文章修行としてはキーボードで写すことに意味はあると思いますが。過去の記事にも書きましたが、プロ倫の文章を継続的に写すことでパラグラフ・ライティングのコツが掴めてきたような気もしますし。

*1:いわゆる理念型の話にもつながりそう。大事なのは「理念型を設定することによってどんな分析が可能になるか」「理念型がただのモデルにすぎないことを自覚できているか」であって、「純粋な理念型なんて現実には存在しない!ただの概念だ!意味ない!」と否定することはあまり生産的ではないと思います。

*2:調べたところ、ウィリアム・パターソンという名前の偉人が何人もいるようだ。よくある名前なのだろうか。ここで言うパターソンはイングランド銀行スコットランド銀行創始者

*3:これが具体的にどういうものであったかは私もよく分かっていない。

*4:グロッサーズ・ホールとは同業者団体の1つ「食料雑貨店の名誉組合」が持つ公会堂のよう。私も詳しくは知らないが、イギリスには中世以来の同業者団体が残っているらしい。このような団体の金融業は投機家と性質が異なる、ということか。

*5: