Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

Composition 103 プロ倫


ウェーバーは資本主義における企業の特徴して

  • すべての価値をお金に換算すること
  • 貸借一致の原則に従うこと

などを挙げています。なぜそうした特徴が出てくるのかというと、「利潤の追求」を目的としているからなのでしょう。今回はそんな話の続きです。

So far as the transactions are rational, calculation underlies every single action of partners.
That a really accurate calculation or estimate may not exist, that the procedure is pure guess-work, or simply traditional and conventional, happens even to-day in every form of capitalistic enterprise where the circumstances do not demand strict accuracy.
But these are points affecting only the degree of rationality of capitalistic acquisition.
 For the purpose of this conception all that matters is that an actual adaptation of economic action to a comparison of money income with money expenses takes place, no matter how primitive the form.
Now in this sense capitalism and capitalistic enterprises, even with a considerable rationalization of capitalistic calculation, have existed in all civilized countries of the earth, so far as economic documents permit us to judge.
In China, India, Babylon, Egypt, Mediterranean antiquity, and the Middle Ages, as well as in modern times.
These were not merely isolated ventures, but economic enterprises which were entirely dependent on the continual renewal of capitalistic undertakings, and even continuous operations.
However, trade especially was for a long time not continuous like our own, but consisted essentially in a series of individual undertakings.
Only gradually did the activities of even the large merchants acquire an inner cohesion (with branch organizations, etc.).
In any case, the capitalistic enterprise and the capitalistic entrepreneur, not only as occasional but as regular entrepreneur, are very old and were very widespread.

(拙訳)
 取引が理性的なものである限り、相手の一つ一つの行動は計算に基づいている。
 本当に正確な計算や見積もりというものは存在しないかもしれない。手続きはただの当てずっぽうにすぎないか、あるいは伝統や慣習に則っている。今日でさえ、厳密な計算を必要としない状況ならば、あらゆる形態の企業にそういうことが起こり得る。
 しかし、これらは利潤獲得の合理性の、程度の問題だ。
 ここで重要なのは、収益と費用の比較だ。どれだけ原始的な形にせよ、実際の経済活動がその比較に適合していれば、貸借一致の原則に従っていると言ってよい。
 貸借一致の原則に従うという意味で(いや、計算が相当に合理化されているという意味においてさえも)資本主義や資本主義的企業は、地球上のすべての文明に存在し続けてきた。残されている史料を見る限り、そうなる。
 中国、インド、バビロニア、エジプト、古代の地中海、そして中世にも、近代と同じような資本主義があったことになるのだ。
 どの時代の時代のどの地域にも、一度限りの投機ではない継続的な活動をする企業はあった。
 しかし、継続的な取引といっても今日ほどではなかったし、ただたくさんの依頼をばらばらに受けていただけだ。今日の企業のようにはっきりした目的意識を持っていたわけではない。資本主義は長い間そのような段階にとどまっていた。
 大商人でさえも、支店との取引などから少しずつ利潤を獲得していただけだったのだ。
 いずれにせよ、資本主義的な企業あるいは企業家といったものは、非常に古い歴史を持ち、広範な地域で見られる。

※毎度のことですが、自由に訳しているので正確さは保証できません。


【雑感】
またしても話が堂々巡りしているように見えます。「資本主義は西洋にしかないんじゃなかったのか? なんでここに来て世界中にあったと言いだすのか?」と混乱してしまう方もいるでしょう。

結局、ウェーバーが資本主義という言葉をどう定義しているかが問題となります。「貸借一致の原則に従う=収益と費用を比較して計算する」と広く意味をとれば、人類のあらゆる文明には資本主義があったことになります。
しかし、それは今日のわれわれが資本主義と呼んでいるもの(狭い意味の資本主義)と何が違うのか? なぜそれが特定の時代の特定の地域(何百年か前のヨーロッパ)でのみ発達したのだろう?
ウェーバーは、そうした問いを掘り下げていきたいのだと思います。