Milindaの書斎

母国語と外国語を行ったり来たりしながら、自分なりに「書くこと」を追求したいと思います。

Composition 96 こりずにプロ倫


前回の続きです。英訳版の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んでいきます。英文の1センテンスが日本語訳の1パラグラフに相当します。慣れてきたのでけっこう意訳が増えました。

 In architecture, pointed arches have been used elsewhere as a means of decoration, in antiquity and in Asia; presumably the combination of pointed arch and cross-arched vault was not unknown in the Orient. But the rational use of the Gothic vault as a means of distributing pressure and of roofing spaces of all forms, and above all as a constructive principle of great monumental buildings and the foundation of a style extending to sculpture and painting, such as that created by our Middle Ages, does not occur elsewhere. The technical basis of our architecture came from the Orient. But the Orient lacked that solution of the problem of the dome and that type of classic rationalization of all art―in painting by the rational utilization of lines and spatial perspective―which the Renaissance created for us.

 建築に話を移す。尖頭アーチはギリシャ・ローマでもアジアでも装飾として使われてきた(思うに、尖頭アーチの組み合わせやアーチ形天井はオリエントには見られない)。
 しかし、中世のゴシック建築のように合理的なアーチ形天井の使い方は、どこでも見られるものではない。どう合理的かというと、屋根の重さを分散させられるようになったことや*1、どんな形のスペースにも屋根をかけられるようになったことだ。そして、これがとりわけ重要なことなのだが、合理性は記念碑的な大建築を設計するときの根本原理であり、様式の基礎であった。様式は建築だけでなく彫刻や絵画にまで広がる概念である。
 西洋建築の技術的な基盤はオリエントに由来する。
 しかしオリエントはドームを作るための技術的課題を解決できなかったし、芸術の他の分野においても、きちんとした合理化ができていなかった。例えば絵画においては遠近法や透視画法を持たなかった。ヨーロッパがそれを発明したのはルネサンス期のことである。


【雑感】
音楽から建築に話が移りました。先の記事にも書きましたが、ウェーバーは別にヨーロッパの文化を自慢したいわけではなく、彼の考える「合理性」や「普遍的価値」の概念をどうにかして説明したいのだと思います。だから執拗に例を挙げているのです。そうやって懸命に論証しようとすることがまさに合理精神の表れであり、彼の生きた時代の雰囲気を伝えている気がします。

*1:グーグル先生曰く、尖頭アーチは縦方向の力には強いが、横方向の力に弱い。よって地震や台風で倒壊する恐れがあるらしい。だとすると、尖頭アーチは日本の建築に適さない。その風土ごとに「合理的」な建築様式があるのだろう。