Milindaの書斎

母国語と外国語を行ったり来たりしながら、自分なりに「書くこと」を追求したいと思います。

Composition 95 またまたプロ倫


英訳版の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んでいきます。「これもう composition じゃなくて translation じゃん」とか、そういう細かいことは気にしないでください。

では、前回の続きからいきます。英文の1センテンスが日本語訳の1パラグラフに相当します(最後のセンテンスだけは長すぎるので箇条書き風にしていますが)。正確に訳すというよりは、ある程度までふわっとした言い方にしておりますので、ご了承ください。

Not all the anticipations in India (School of Mimamsa), nor the extensive codification especially in the Near East, nor all the Indian and other books of law, had the strictly systematic forms of thought, so essential to a rational jurisprudence, of the Roman law and of the Western law under its influence. A structure like the canon law is only known only to the West.
 A similar statement is true of Art. The musical ear of other peoples has probably been even more sensitively developed than our own, certainly not less so. Polyphonic music of various kinds has been widely distributed over the earth. The co-operation of a number of instruments and also the singing of parts have existed elsewhere. All our rational tone intervals have been known and calculated. But rational harmonious music, both counterpoint and harmony, formation of the tone material on the basis of three triads with the harmonic third; our chromatics and enharmonics, not interpreted in terms of space, but, since the Renaissance, of harmony; our orchestra, with its string quartet as a nucleus, and the organization of ensembles of wind instruments; our bass accompaniment; our system of notation, which has made possible the composition and production of modern musical works, and thus their very survival; our sonatas, symphonies. operas; and finally, as means to all these, our fundamental instruments, the organ, piano, violin, etc.; all these things are known only in the Occident, although programme music, tone poetry, alteration of tones and chromatics, have existed in various musical traditions as means of expression.

 インドのあらゆる予言(ミーマーンサー学派など)も、中東の膨大な法典も、その他の地域の成文法も、厳密に言えばローマ法のように体系的な思考形態を持っていなかった。そうした思考理性的な法律学に必須のものであり、ヨーロッパの法にも影響を与えている。
 教会法*1のような構造は、西洋にだけ見られるものだ。
 似たようなことは芸術にも言える。
 他の文化圏でも、西洋に勝るとも劣らぬくらいの音楽的感性が発達しているだろう。
 さまざまな種類の多声的な音楽は地球上に広く分布している。
 多くの楽器を使う曲だって、多くの歌唱パートに分かれた曲だって、どこにでも存在する。
 西洋音楽にあるような音程はすべて知られているし、計算されている。
 *2しかし、西洋にあって他の地域にないものもある。
 和声的な音楽、対位法と和音、三和音に基づいた音素の構成――
 空間的な用語で解釈されるのではなく、ルネサンス期からは和音として解釈されるようになった、半音階や異名同音――
 弦楽器の四重奏を核とするオーケストラ、そして管楽器のアンサンブル――
 ベースの伴奏――
 近代音楽の作曲と制作を可能にし、また曲の保存も可能にした楽譜の発明――
 奏鳴曲(ソナタ)や交響曲(シンフォニー)や歌劇(オペラ)――
 そして最後に、これらすべてを具現化するために必須の楽器、つまりオルガン、ピアノ、バイオリンなど――
 以上のようなものは西洋にしか見られない。標題音楽、詩の韻律、変化音などは、さまざまな音楽の伝統のうちに表現手段として存在しているとしても。


【雑感】
ウェーバーが言いたいのは「体系的で合理的な思考は西洋にだけ見られた」ということです。前回までは数学、科学、歴史学などを例にしていましたが、ここでは法律と音楽に注目しています。

まあしかし、最後のセンテンスはどうしたものでしょう。「西洋音楽にしかないもの」を挙げ始めたら、ノリノリになって止まらなかったのでしょうか。何となく、枕草子の「列挙章段」を連想させます。ウェーバーは音楽にも造詣が深かったと伝記などによく書いてありますが、この箇所を読めば納得できますね。音楽用語の訳を間違えていたらすみません。

*1:単なるキリスト教の戒律ではなく、西ヨーロッパの法律の模範とされるくらい厳密なものだったようである。

*2:上の英文ではここから終わりまで1つのセンテンスが続いている。長すぎ。