Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

自分用メモ41 短歌・歌謡関係の本


読んだ本の内容をメモしておきます。少し専門的な本なので、私にも読み解けていない箇所があるかもしれません。この続きを読み進められる方はご了承ください。


小松英雄『古典和歌解読』

  • 本書の最大のメッセージは「古今集時代の和歌は音読ではなく黙読で味わうものだった」ということだろう。要するに音読されることが前提ではなく、書かれた文字を目で読まれることが前提だったのだ。筆者はそう主張している。

※以下の記述にもすべて「筆者はそう主張している」と付けるべきだが、いちいち書かないことにする。

  • 仮名文字を発明したことで、一つの単語に同訓異字の意味を持たせたり、清音と濁音の両方で解釈できるようにしたり(「もの憂かる」と「もの憂がる」など)と表現が深化した。
  • この工夫は音読して耳で味わうだけでは理解できない。実際に、古今集の成立から100年くらい経ったころにはすでに理解されなくなっていたようだ(和歌を目で見ず、耳で聞いて覚えるようになっている。枕草子に出てくるエピソード)。以後の時代で歌学とか歌道と呼ばれていたものは、すべて古今集の理解ができなくなった後の産物ではなかったか。
  • 古今集巻十九に「短歌」という見出しで長歌が収められていることは古来よりの謎。これはついては「五七調だった万葉集の短歌を七五調に変え、長歌の末尾だけを切り取っても短歌として成立するようにしたのだ」と解釈する。
  • 仮名文字による表現の深化は、「1.万葉集時代の五七調のリズムを失った」「2.情報を詰め込もうとしすぎて詞書に頼るようになった」という2つの欠点を伴っていた。
  • 1.については代わりに七五調が発達した。和歌に限らず今様や軍記物なども七五調である。
  • 2.は「言いさし」「本歌取り」という技法を編み出すことで解決しようとした。詞書で長々と説明する代わりに読者に判断を委ねるか、関係のある他の歌を連想してもらおうとしたのである。この言いさしと本歌取りが生み出す雰囲気こそ「幽玄」ではないのか。


宮内仁『日本の木遣唄』

木遣唄はだいたい以下のように移り変わっていった。
 仕事歌:実用的。木を引くタイミングを合わせる等の目的がある。
→祝い歌:家が建った後などに歌う。お伊勢参りの流行とともに、全国の祝い歌が伊勢音頭の影響を受けた。
→芸能歌:観光客に見せるもの。完全に日常から離れている。

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