Milindaの書斎

母国語と外国語を行ったり来たりしながら、自分なりに「書くこと」を追求したいと思います。

Composition 71「超」文章法


野口悠紀雄『「超」文章法』p90

 よく、「一文一意主義がよい」と言われる。賛成だ。私は、もう少し進めて、「一パラグラフ一意主義」を採るのがよいと思っている。つまり、一つのパラグラフに異質な内容を盛り込まないほうがよい。
 とりわけ、パラグラフ内での論理の逆転は、できるだけ避けるべきだ。つまり、同一パラグラフの中で、「しかし」という接続詞が現れるのは避けるべきだ(第5章の2を参照)。
 論理を進めるには、複数のパラグラフが必要である。それらのパラグラフは、「したがって」、「なぜなら」、「しかし」などの接続詞で結ばれる。

Since long ago, there has been a famous phrase in Japan; Each sentence must have only one meaning (一文一意). I agree with it and have wanted to brush up more. In the final analysis, I invented a new proverb; Each paragraph must have only one meaning. That is to say, we should not incorporate more than two disconnected contents in one paragraph (see also Chapter 5, Section 2).
In particular, logic must not convert inside a paragraph. We ought not to use 'but' in the same paragraph.
We need plural paragraphs to expand logic, and we need conjunctions, such as 'therefore,' 'because,' 'however,' to tie those paragraphs up.

(Readability score: 63)


【雑感】
言わずと知れた文章作法の名著です。特にビジネス文書の指南書としては必読だと思いますし、創作がしたい方でも多くの示唆が得られるでしょう。未読の方は是非とも読んでみてください。

私も折に触れてこの本を読み返しています。今回、ブログの種にするためにパラパラと再読していて上の記述に突き当たり「あ、俺パラグラフの中で論理転換してるわ……」と少しショックを受けてしまいました。
でもよく考えたら、私が使っているのは「~という意見もあるが、しかし……」と本論を導くための論理転換です。要するに会話や議論の型として有名な「Yes, but」であって、これを全面的に禁止したら文章を書くのが難しくなってしまうのではないでしょうか。
野口先生が戒めているのは、おそらく「私の主張はこうだが、しかし例外もあって……」というような逃げの論理転換なのだと思います。もちろん、そのような逃げは避けたほうがいいに違いありませんし、私もできるだけ書かないようにしています。
なので別に私がショックを受ける必要はないかな、と思ったのですが、それは自分に甘い解釈なのかなあ…(笑)

というか、本当に「論理転換はパラグラフの頭で行うべき」なんですかね? だったら、パラグラフより小さい単位であるセンテンスではどうして「文頭の論理転換」をやってはダメなのでしょうか? よく言われる「英語では文頭に接続詞を持ってきてはいけない」という作法と矛盾するような気がするのですが……