Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

Composition 57 島内先生と徒然草

島内裕子 『方丈記』と『徒然草』 p148-149

 [徒然草の]第四十段は、ふと心に浮かんできた不思議な娘のエピソードである。


  因幡の国に、何の入道とかや言ふ者の娘、容貌良しと聞いて、人数多、言ひ渡りけれども、この娘、ただ栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、「かかる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親、許さざりけり。


[中略]
この娘は、「もう一人の兼好」であり、兼好は「もう一人の因幡の娘」であった。兼好が、この風変わりな娘の話を書き留めたのは、兼好が自画像を描いたのと同じ意味がある。周囲から閉ざされた自分だけの世界。その自分の心が、どれほどのものを書物から受け取っていたとしても、自分の周りには、もっと広い生き生きとした世界が、今まさに日々、動いている。その現実世界を動かしているのは、今まであずかり知らなかった、多くの人々の暮らしと心なのである。

One day Kenko remembered an episode by chance, and he wrote it down in the 40th passage of Tsureduregusa. It was about a strange young woman.

'Once upon a time, a young woman lived in Inaba Province. It is said she was a daughter of a certain Nyudou, which means lay priest. She looked beautiful, but she never ate rice and had only chestnuts. Many men proposed marriage to her hearing the rumor of her beauty, but her father denied them all. According to him, "My daughter has a bizarre eating habit. Even if she marries someone, she mustn't become happy."'

[omit]
I think this girl is 'The Caricatured Kenko' and Kenko is 'The Embodied Inaba Girl." In his youth, Kenko closeted himself in the alone world and indulged in reading. It was similar to the young woman who had eaten only chestnuts. However, books don't teach us everything. Even though what you receive from the books is significant, it cannot cover the whole world. There are numerous things that a well-read person doesn't know. We are surrounded by the world, which is more extensive, more lively, and more contemporary than the books. It is not only intellectuals who can read a book but also many ordinary people that drive this real world. Therefore, Kenko recorded this episode as a self-portrait and self-admonition.

(Readability score: 67)


【雑感】
すごく正直に言うと、私の現時点での結論は上に書いてあることと正反対かもしれません。毎日、「書物が好きなら、それに埋もれて生きて何が悪いんだろうか?」と思いながら生活しています。

10代、20代のころの私はナイーブすぎました。周りの人間が「書物より〈現実〉のほうが偉いんだ」「書物を捨てて〈現実〉に合わせろ」と言うと、それをあまりにも四角四面に受け取って「そうか、書物はいけないものなんだ」「自分はダメな人間だったのだ。自分を変えて〈現実〉に合わせなきゃ」と考えてしまっていました。
だからずっと苦しかったです。断言しますが、20代の10年間にいい思い出は一切ありません。得たものも一切ありません。自己評価を毀損しながらいくら頑張ったって、その頑張りは何の成果にも成長にもなりはしないのです。

いまは「書物って楽しいな」と再び思えるようになりました。そして、それでいいのではないか、とも思っています。
2020年は兼好が生きていたころとも島内先生が若いころとも違います。あまりにもネットワークが発達しているため、完全に自分の世界に閉じ籠ること、完全な世捨て人になることのほうが逆に難しいのです。本当に打ち込めるものがあるならば、やがてはそれが社会との接点になるはずなのだから、無理して〈外〉や〈現実〉に目を向ける必要はないのではないか……少なくともいまの私はそう考えています。

じゃあなんでこの箇所を取り上げたのかというと、自分を客観視することの大切さを思い出せるから、でしょうか。