Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

Composition 35 万葉歌の成立

 集団的なものとして歌謡が起こり、集団に埋没していた個性があらわれてきて歌が成立するというような文学史の通説があるが、そのような俗説はとらない。集団的なものを原初に据えるなら、なぜ集団的なものとして始まるのかを問うてみるべきだし、だいたい集団とは何か自体が曖昧だ。それに、なによりも歌の問題であるかぎり言語表現の位相において考えられる必要がある。集団的とか個性とかいうものが表現に即して論じられるべきだ。そうならないのは、文学に個人の内面をみるという心的な発想を無前提にもって疑わないからである。

古橋信孝『万葉歌の成立』p44-45

Some scholars claim as follows; Literature was collective songs in its beginning. As the time comes closer today, the character of each creator appeared, and poetry came into existence. I don't adopt such a simplified explanation. If they presume the collectivity in the origin of literature, they should cogitate why literature occurred in the collective form. I'm dissatisfied they don't pursuit this question. Besides, the concept of 'collectivity' is undefined well. In the first place, we should pay attention to each expression in particular poems. We ought not to hold the notions 'collectivity' and 'character' before reviewing actual phrases. However, they don't verify their premise. They have still thought that each modern literary work is reflected by an author's inner world, and they have given the special status to modern literature, in the end.

【雑感】
難解な文章です。全編にわたってこんな調子が続くので、私も内容を100パーセント理解できたわけではありません。
それでも自分なりに解釈してみますと、引用部で古橋先生が意図したのは「文学の俗説を2段階で乗り越えること」だと思います。
1つ目の俗説は「文学作品には作者の個性や内面が反映されている」というものです。これは今日の私たちにとって支配的な考え方です。学校の国語のテストは、この俗説を前提として成り立っています。しかし、それほど私たちの馴染みとなった考え方でありながら、この説に対してはすでに多くの批判があります。個性や内面という概念は近代的なものですから、それより古い時代の文学に当てはめるのは適切でない、と考えられるのです。
そこで登場してきたのが「文学はもともと集団的なものとして発生したが、時代が下るにつれて作者の個性を表現するようになっていった」という文学史上の歴史観です。この見方は大筋で正しいはずですし、特に「作品から作者の独自性を読み取ろう」という近代的な鑑賞法へのカウンターとして有効だと思います。
ところが、古橋先生はこの史観にも若干の不満があるというのです。どんな時代の文学にも集団と個性の両側面があるはずなのだから、「古い時代の文学=集団的/近代以後の文学=個性的」と図式的に分けてしまっていいのか。両者がどんな割合で含まれているかを、個々の具体的な表現から読み取っていくしかないのではないか。先生はそう主張します。
先生に言わせると、図式的な分類を行おうとすること自体、まだまだ近代中心にものを見ている証拠だ(近代文学とそれ以外とに分けようとしているのだから、近代文学を特別視している証拠だ)、ということになるのかもしれません。