Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

Composition 29 正法眼蔵随聞記

堂中の衆は乳水の如く和合して、互に道業を一興すべし。いまはしばらく賓主なりとも、のちにはながく仏祖なるべし。しかあれば即ちおのおの共にあひ難きにあひて、行ひ難きを行ふ誠の念ひを忘るることなかれ。これを仏祖の身心といふ。必ず仏となり、祖となる。すでに家を離れ里を離れ、雲をたのみ水をたのむ。身をたすけ、道をたすけんこと、この衆の恩は父母にもすぐるべし。父母はしばらく生死のなかの親なり。この衆はながく仏道の友にてあるべし。
懐奘『正法眼蔵随聞記』

※ただし鎌田茂雄『正法眼蔵随聞記講話』p14からの孫引きである。

Everybody is equal in our temple. We have no distinction between high and low, nor between superior and inferior, as we cannot tell mixed milk and water. After you join us, there will be a relation between master and student, or senior and junior, for a short while. However, it is just provisional. All of us will achieve enlightenment and become saints together, so why do we need to rank ourselves hierarchically? Don't worry about your pecking order. That is insignificant. Rather than that, you have to appreciate meeting your companions and practice Buddhism as earnestly as you can. It is the attitude to become a saint.
We have already exited from the general public for the training, so we cannot depend on them. We must fulfill our domestic duties by ourselves. When we are in trouble, we must help mutually. Our colleagues are more important for each other than your parents. The link with parents is tight in this life, but it would extinguish in the next life. On the contrary, the tie with Buddhist comrade will remain through all eternity.

(かなり意訳した英文なので、それをまた日本語にしてみると)
この寺で修行する者はみな平等だ。乳を水に混ぜたら溶け合って区別ができなくなる。それと同じように、われわれには上下も貴賤もない。入門してしばらくの間は師匠と弟子、先輩と後輩という関係になるが、それは仮のものだ。後々にはみな悟りを開いて仏*1になるのに、師匠も弟子も、先輩も後輩もあるか。くだらん序列なんかを気にしているより、仲間に出会えたことに感謝して少しでも精進せよ。それが仏祖になる者の気構えというものだ。
われわれはすでに一般の社会を離れて修行に励んでいるのだから、身の周りのことは自分たちでやらねばならないし、助け合って生きねばならない。仲間から受けるこの恩は父母の恩にもまさる。父母との縁はこの一生限りのもので、来世にはなくなってしまうかもしれない。しかし、仏道の友との縁は未来永劫に続くものだ。

【雑感】
『随聞記』の著者である懐奘も、その師匠である道元も、別に「やりたいことのために家族を捨てろ」とまでは主張していないと思います。もちろん私も、家族を大切にするという価値観を否定する気はありません。ただ「親との縁はこの一生限りものだ」とか「みんな仏祖になるのだから上下関係はない」などと書いてあるのをみると、ハッとさせられるものがあるのです。

*1:Buddha としたら釈尊だけを指すことになりそうなので、saint(聖者)としておいた。しかしsaint では何か違うような気もする。