Milindaの書斎

母国語と外国語を行ったり来たりしながら、自分なりに「書くこと」を追求したいと思います。

自分用メモ33 「読む」が分からない



過去の記事で、「読む」「書く」「覚える」「解く」の4領域のうち「書く」だけは自分なりの方法が見つかっていない、という話をした。

最近の記事では、「書く」の方法がとうとう見つかったかもしれない、外国語と母国語の両方で訓練すればいいのだ、という話もした。

代わりに「読む」がどんどん分からなくなっていく。
私は元来、文章を速く読むことができない。それを補うために色々な手段(いわゆる速読法)を模索してきたが、いまだにピンと来るものがない。

文章を目で見るとき、一度にどれくらいの範囲を視野に収めればいいのか?
目でとらえた文章は音韻表象に変換されてもいいのか、それともされるべきでないのか?*1
音韻表象に変換されるべきでないとすると、どうやったら音声化をやめられるのか?
そもそも音声化をやめたからといって読むのが速くなるのか?

……こうした細かな疑問について、私は答えを持っていない。
疑問を共有できる相手にも出会ったことがない。読むのが得意な人は「読めるのが当たり前」と思っているから「どうしたら読めるようになるのか」という悩みを理解できないし、読むことに興味がない人は最初からそんな問題意識を抱きすらしないからである。

また過去の記事には、文章を文節単位にバラして読んでいけばいいのではないか、とも書いた。

文節というのは誰もが国語の授業で習ったであろう、文を「ね」「よ」で区切っていくあれだ。難しい文章を読む際には、ああやって頭の中で文節に区切っていけば内容を掴みやすいのではないか。2ヶ月ほど前にそう思いついた。

実践してみたところ、たしかに正確に読むことはできた。ただし当然ながらスピードがめちゃくちゃ遅い。「遅く読んでも許される本」つまり教科書や古典にしか使えない。
いまの私が読んでいる本は放送大学の教科書と、それに関連する数冊の古典だけだ*2。だからゆっくり読むのが合っているし、「文節読み」で不便を覚えることもない。
しかし、やはり「文節読み」は特殊な読み方で、応用できる場面があまりに限られているぞ、こんなことをずっと続けてはいけないぞ……という感懐も強くなってきた。このやり方では「多読」などとてもできない。仕事で文書作成するにも、娯楽のために小説を読むにも、まったく使えはしないだろう*3

もう量的にたくさんの本を読むことは諦めて、残りの人生を古典に絞るべきなのだろうか。そんなことも考える。

*1:要するに「頭の中で音読してもいいのか」問題だ。

*2:あとは書きたい小説に関する本も読んでいるが、とても「資料を読みこなす」などというスピードでは読めていない。

*3:娯楽のための読書はゆっくり進めればいいのかもしれないが。