日本語は述語優位の言語だ
とか
日本語には英語で言うような主語 subject はない、あるのは「主格成分」だけだ
とか、本には書いてあるわけだけども*1。
でも、日常生活の中で話したり書いたりするときには「述語を先にこれに決めて、これに合う格成分が……」なんて考えているわけではないと思う。
例えば
私は昨日、六時ごろから八時過ぎまで、豊崎川の花火大会を見に行ったんですよ。
という発話があるとする(地名は架空)。
この時、話し手は述語が「見に行った」だと先に 意識しているわけではないし、「見に行った」に合う格成分がこれとこれとこれで……なんて考えているわけでもないだろう。
時系列的には 初めに発話される「私は」をやはり最初に思いついているのだろうし、最後に発話される「見に行ったんですよ」はやはり最後に思いついているのではないだろうか。
いや、しかしどうなんだろう。やっぱり先に「見に行った」という事態 が意識されているのだろうか。言語化される順番が一番後だとしても。
ダメだな。言葉の発生を言葉で考えるということがそもそも矛盾だし、言語学や心理学のきちんとした知識があるわけではないので、結局ただの屁理屈ごっこになってしまう。