Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

自分用メモ28


論語の語り口は優れていると思う。

論語というと、一方に「ビジネスに活かす」とか言っている人たちがいて、もう一方に「儒教なんて前時代の思想だ!クソだ!」と言う人たちがいる。

そういう人たちは置いておくことにして、私は論語の語り口、書きぶりを愛でたいと思う。

いま、たまたま開いたページを試しに引用すれば

子貢、友を問う。子の曰わく、忠告して善を以てこれを道びく。不可なれば則ち止む。自ら辱めらるること無かれ。

【訳】
子貢が友だち〔との交わり〕のことをおたずねした。先生はいわれた、「忠告して善道によって導くべきだが、きかれなければやめて、〔むりじいをして〕われから恥をかくことのないように」。


訳はちょっとダラダラした感じだが、原文のほうは引き締まったよい文だと思う。

これを小説にしたら、色々な描写が加わってさらに間延びすることだろう。たとえばこんな風に。

「友とはどのように接したらいいのでしょうか?」
 子貢が尋ねた。いつものことながら賢しげな口調だ。この男は頭の回転が速いことを鼻にかけている節がある。それが子貢の持つ危うさなのではないかと、孔子は心配していた。
 孔子は答えた。子貢が侮らない程度に重々しく、しかし彼のプライドを傷つけない程度には穏やかな声音で。
「友が道を誤りそうだったら、忠告して善い道に引き戻してやりなさい」
「たったそれだけのことなのですか? それだけでいいなら、人が友との接し方に悩むことなどないと思います」
「ふむ」
 孔子は髭を撫でて、しばし考えた。他の門人は、先生が機嫌を悪くするのではないかとハラハラして見守っている。
「もちろん、忠告も時と場合によるぞ。言って通じる相手かどうかをよく見極めなさい。もし一度忠告して聞き入れられなかったら、深入りすることはない。喧嘩にでもなったら、恥をかくのは自分かもしれないからな」
 聡明な子貢に対して、孔子はあえて噛んで含めるように話した。

もちろん私が想像であれこれ書き足しただけであって、史料的な根拠などはない。
さて、こうして描写を加えたことで文章の魅力は増しただろうか。大いに疑問だ。たぶん増していないと思う。私の描写が下手なせいもありますがね。原文はすでに完成した文章だから、水増ししたら台無しになるのだ。

描写というやつは、特定の時代(近代)の特定の地域(ヨーロッパ)で発達したやり方に過ぎない。

描写こそ小説の命であり、小説の魅力である、という考え方もあるが(そして誰あろう私がその教えの信者だったのだが)どの時代のどの地域の文学にも当てはまる普遍的な価値観なのかといえば、おそらくそうではない。

結局、文学の持つ普遍的な魅力とは、人物の魅力とストーリーの魅力ではないのか。そして、これを伝えるには簡潔な文章のほうがいいのではないだろうか。

論語は格好の教材になる。なぜならば、孔子や門人たちの魅力を簡潔な文で記した書物だからである。

過去のメモに「三教指帰の漢文は四六駢儷文だ。だからそのまま真似するわけにはいかない」と書いたが、論語の語り口はエンタメ系の小説に応用することが可能だろう。

※引用した原文と訳は岩波文庫のものです。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

  • 発売日: 1999/11/16
  • メディア: 文庫