Milindaの書斎

読んだこと、考えたことなどを書き留めます。外国語はたまに。

自分用メモ22


私は松田直樹というサッカー選手が好きだ。彼はもうこの世の人ではないのだが、「好きだった」とはせず現在形で言いきることにする。

正直にいうと、松田がプレイヤーとしてどう凄いかということは語れない。彼が全盛期だったころ、私はサッカーより野球をよく観ていたからだ。
ただ「ワールドカップに出てたから凄いな」「見た目がイケメンだな」と、漠然とした好感を持っていただけだ。

では何がきっかけで松田のファンになったのかというと、彼が横浜F・マリノスを退団する時のスピーチだ。


横浜F・マリノス 松田直樹 最後の挨拶


これをたまたま見て、有り体な言い方だが、胸を打たれた。
(その後、彼は言葉通りの生き方をして急逝することになるのだが、それについては機会があれば別の記事で語ろう)

このスピーチを見返すたびに、色々なことを考えさせられる。

私は文体にこだわって読んだり書いたりしてきたつもりだけど、結局、何も分かっていなかったのではないか。
自分の認知能力では文章の枝葉末節しか捉えられず、書き手の言いたいことが全く汲み取れていないのを、「俺は文体の細部にまでよく気がつくんだ」と勘違いしていただけではないのか。

言葉を飾るより大事なことがあるのではないだろうか。
「紙に書いたりもできないし」と言っている松田の言葉が、こんなにも人の心を動かしているではないか。

しかし同時に「でも文章と動画は違うのだ」という思いもわく。
動画なら口調や表情まで伝えられるが、文章はそうではない。伝えたいことを過不足なく伝えるために、やはり言葉の隅々にまでこだわる必要があるのではないか。

それとも、誰もが動画を撮影・発信できる時代に、もはや言葉にこだわる必要などないのだろうか?
文体というものは、今日ではもはや不要となった前時代の技術なのだろうか?

これは反語ではなくて純粋な疑問だ。答えは私にも分からない。