Milindaの書斎

母国語と外国語を行ったり来たりしながら、自分なりに「書くこと」を追求したいと思います。

万葉TILその6

 

79番の長歌と、80番の反歌の暗唱に挑戦した。

 

まず79番から。意味的に一まとまりと思われる箇所で区切って書くことにする。

 

大君の 命(みこと)かしこみ にきびにし 家を置き

こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて 我が行く川の

川隈の 八十隈落ちず 万たび かへり見しつつ

玉桙の 道行き暮らし

あをによし 奈良の京の 佐保川に い行き至りて

わが寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば

栲のほに 夜の霜降岩床と 川の氷(ひ)凝(こご)り

寒き夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる宮に

千代までに いませ大君よ 我も通はむ

 

78番歌と同じように、奈良平城京への遷都を詠んだ歌。

「大君の 命かしこみ」は、遷都の命令を謹んでお受けし、という感じ。まず主君に敬意を表するのは長歌によくある出だし。「にきぶ(和ぶ)」は慣れ親しむという意味なので、「にきびにし家」は慣れ親しんだ家。

「川隈」は川の湾曲した場所のこと。「八十隈落ちず」とあるのは、泊瀬川にはカーブがたくさんあって切りがないほどであった、という意味のようだ。さらに「万たび かへり見しつつ」とあるため、この4句全体では「泊瀬川の数限りない隈に差しかかるたび、何度も元の都の方を振り返って見ながら」という感じか。

「玉桙の 道行き暮らし」では場面が転換し、泊瀬川を下った後に陸路を進んだことを描写する。「行き暮らし」だから日暮れまでずっと歩いたというニュアンスだろう。「玉桙の」は「道」に係る枕詞。当時は魔除けのために道端に矛を立てる習慣があったという。

佐保川を い行き至りて」で、また場面が転換する(形式上はその前の「あをによし 奈良の京の」からだが)。佐保川まで来たところで、陸路からまた水路に切り替える。解説によると佐保川は遡って進んだらしい。奈良に着くまでに川を下ったり上ったり大変だ。

「わが寝たる 衣の上ゆ」でまた場面が転換する。語り手は奈良に到着し、仮宿に寝起きしている。まだ新都は完成していない。以下しばらく奈良の寒さが描写される。

「衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば」とあるのは、布越しでもはっきり見えるくらい明け方の月が輝いていることを表す。月の光は霜や氷を照らし出している。「栲のほに 夜の霜降り 岩床と 川の氷凝り」とあるのは、それらの比喩。霜は白栲の布のようであり、川は凍結して平らな岩のようであった。解説によると、この比喩のチョイスや対句の形式には漢詩の影響が見られるそうだ。

「寒き夜に」でさらに話題が転換する。そんな寒い夜にも休むことなく通い詰めて都を造営しましたよ、と語られる。泣けてくるね。そして天皇に「せっかく造ったんだから千年くらい住んでおくれやす。あ、困ったらまたあっしを呼んでちょ」と言上して歌が閉じられる(そんなノリかよ)

作者は未詳とされているが、枕詞の多用などは素人の私がパッと見で分かるくらい柿本人麻呂に似ている。しかし人麻呂をパクったしょーもない無名歌人の作かもしれないし、人麻呂のパロディのつもりで作った歌なのかもしれない(適当に言ってるだけですよ)

 

以下は79番長歌反歌

80 あをによし 奈良の宮には 万代に 我も通はむ 忘ると思ふな

最後の「忘ると思ふな」は誰に言っているのだろうか。色々な解釈が可能かもしれないが、普通に考えれば天皇なのだろう。解説もそう見ている。

天皇に「~と思うな」って命令するのもなかなか凄いな。「あ、あたしが忠義の心を忘れるなんて思わないでよねっ///」という感じか。

ちなみに「忘ると思ふな」というフレーズは万葉集の中に他に2例あるが、いずれも人麻呂の相聞歌だという。忠義の心は恋心に似ているんだね(それは違うか)。

私はやはり人麻呂が作者である可能性が高いと思うが、平城京遷都の頃にはもう死んでいたという説も有力らしい。うーん。

 

万葉集(一) (岩波文庫)

万葉集(一) (岩波文庫)