Milindaの書斎

母国語と外国語を行ったり来たりしながら、自分なりに「書くこと」を追求したいと思います。

Composition 138 日本語の「Tフォーム」って何だ?


Yesterday I talked a little with a person from a foreign country. He said, 'The Japanese language is difficult, especially, T-form is.'
 昨日、外国出身の人と少し話をしました。彼は「日本語は難しい」と言っていました。特に「Tフォーム」が難しいのだといいます。

I didn't know what 'T-form' meant, so I asked him questions about it repeatedly. At last, I understood he said 'Te-form,' not 'T-form.' That is to say, he referred to the connective wordings of the Japanese language with 'te,' a kind of particles.
 Tフォームというものが何なのかよく分からないので、私は何度か質問を繰り返してしまいました。その末に分かったのですが、彼が言うのは「Tフォーム」ではなく「てフォーム」でした。つまり日本語の「〜て」という語法を指していたのです。

When I realized that, I felt, 'What an interesting matter, aha!' In a Japanese school, I had learned as follows; a verb is conjugated to continuative form, and a particle 'te' is attached after it. However, it seemed he had learned the same thing, in his mother country, as follows; a verb is conjugated to 'Te-form.' Maybe his native tongue doesn't have the concept of particle, and they interpret that 'te' is a part of a verb.
 ははあ、面白いものだ、と思いました。日本の学校では「動詞の連用形に助詞『て』が付属している」と教えることを、彼は母国で「動詞が活用して『てフォーム』になる」と習ったようです。おそらく彼の母国語には助詞という概念がないので、「て」までが動詞の一部だと解釈されているのでしょう。

I have no intention to assert that only my grammatical knowledge is right because I'm a native Japanese speaker, nor his knowledge is wrong because he received his education in a foreign country. Such thoughts are far too absurd. There must be each 'Japanese grammar' constructed with its own interpretation of the Japanese language in each state. Whether 'te' is categorized as a particle or a section of a verb, nothing is the matter unless foreigners' Japanese sounds funny.
 私はこれについて「自分は日本語のネイティブスピーカーなのだから、自分が習った文法のほうが正しいのだ」「彼の学んだ日本語は間違っている」などと主張するつもりはありません。そんなことは馬鹿げています。きっと各国にはその国なりのやり方で日本語を解釈した「日本語文法」があるのだと思います。彼らが私たちから見ておかしくない日本語を使えているならば、「て」を助詞と捉えようが動詞の一部と捉えようが、どちらでもいいでしょう。

The same may be true when a Japanese person studies a foreign language, particularly English. We take lessons of 'English grammar' in school, which predecessors have established after many efforts to understand English from the perspective of Japanese. Surely, our 'English grammar' differs in various details from the 'genuine' grammar systematized by native English speakers. Besides, most of them may speak English without awareness of grammatical precision. However, we can learn English to the extent that our English doesn't sound funny even if we study relying on 'English grammar.' I believe so. I wonder why some people hate 'English grammar' and the Japanese method of teaching English.
 同様のことは日本人が外国語を、特に英語を学ぶときにも言えると思います。私たちが学校で習ういわゆる「英文法」は、日本人なりにどうにか英語を解釈しようとして先人たちが築き上げてきたものです。ネイティブスピーカーが体系化した文法とは細かいところが違うのかもしれませんし、そもそも彼らの多くは文法など意識せずに話しているのかもしれません。しかし「英文法」を使って学んでも、おかしくない英語を使えるようにはなると思います。特に目の敵にしなくてもいいのではないでしょうか。

中文175


九千九百一十天后,我死。开始了倒数余剩的人生,已经九十天经过了。
9910日後、私は死ぬ。残りの人生をカウントダウンし始めてから、すでに90日が過ぎた。

一百二十二天后,我的理想结业一个阶段。不过,我还没上来具体的行动。敢于举举,市场活动的学习吧,哈哈。
122日後、私の夢は一区切りとなる。でも、まだ具体的な行動をしてないな。あえてちょっと挙げてみるならマーケティングの勉強くらいか、ははは。
→正しい文章になっているのか自信がない。

市场活动不是龌龊事。那是种思想为看自己客观的和知道他人们喜欢的事。那是我实在欠缺的事。
マーケティングは汚いこと、小賢しいことではありません。自分を客観的に見るため、そして他人が喜ぶことを知るための「思想」なのだと思います。それこそが私にまったく欠けていたものなのです。
→これも正しい文章なのか自信がない。「~事」を使いすぎた気もするし。

”这些地雷买在哪儿?“
”当然弥兰门前呢。“
「この地雷はどこに埋めるの?」
「もちろんミリンダの家の前さ」

大根帝坐在宝座上了。
大根帝は玉座に座った。

春明,彩霞,景,都出生在群青市的中心。
春明、かすみ、景はみな群青市の中心部で生まれた。

不知道什么时候能学好汉语。
いつになったら中国語を習得できるだろうか。
→教科書に載っている文です、私の心情ではありません(笑)
→「能学好」として、能願動詞と補語を同時に使うことができるようだ。過去の記事にまったく同じことを書いたんだけど、再確認。

Composition 137


※読んだ本を自分なりにメモしたものです。ひと続きの文章ではありません。


The definition of risk is an uncertainty that affects a company's profit and loss.
 リスクとは「企業の損益に影響を与える不確実性」と定義される。

Risk management has increased its importance because of two reasons. First, risks have become more diversified than in the past because of globalization. Second, no company cannot exist unless it fulfills its accountability nowadays.
 なぜ企業のリスク管理が重要になったかというと、理由は2つある。1つはグローバル化によってリスクが多様化していること。もう1つは、企業が社会に対して説明責任を果たさねば存続できない時代になったことである。

Risk is classed as 'risk to take' and 'risk to control.' The former inevitably occurs due to decision-making. Sometimes a company has to take this type of risk to find a business opportunity. The latter occurs in association with carrying on everyday business. A company doesn't have to take it and should control it.
 リスクはテイクリスクとコントロールリスクに分かれる。テイクリスクは意思決定によって必ず生まれるものである。事業機会を得るためにはテイクリスクをあえて保有しなければならない場合もある。コントロールリスクは事業遂行上の様々なリスクである。あえて保有する必要はなく、管理されるべきものだ。
→私が読んだ文献では「テイクリスク」「コントロールリスク」という言い方になっていたのだが、元の英語表現が分からない。とりあえず to 不定詞を使って書いた。

Managers need to visualize a company's risks for two reasons. First, it is hard for employees to grasp a risk that hasn't been tangible yet. Second, it is hard for employees to understand the significance of keeping a risk from being tangible.
 経営者はリスクを見える化しておく必要がある。顕在化していないリスクは従業員に把握されにくく、またリスクを顕在化させないための取り組みも意義を理解されにくいからだ。

Managers need to set two targets of risk management. The two are a target of result and a target of activity.
 リスク管理には2種類の目標が必要だ。結果目標と行動目標が必要である。

When you fulfill the two conditions as following, you succeed in your risk management. First, you make a system that keeps all risks intangible. Second, you discover a business challenge that you cannot see from a manager's viewpoint.
 リスク管理の成功とは、リスクが顕在化しない仕組みを作ることと、経営者の視点だけでは見えなかった課題を見つけることである。


【雑感】
ちょっとマーケティングの勉強をしています。ただ単にお金を儲けたいというレベルを超えて、自分の人格に欠けている要素だと思うからです。

中文174

九千九百一十一天后,我死。
9911日後、私は死ぬ。

“可是九千九百一十一这数是素数吗?”
“不。这个数有三个素因数,十一,十七,五十三。”
「ところで9911という数は素数ですか?」
「いいえ、3つの素因数を持っています。11、17、53です」

一百二十三天后,我的理想止,到那时候我想产生出什么作品。
123日後に私の夢は終わる。それまでに何らかのアウトプットをしたい。

彩霞看见春明走来,高兴得又蹦又跳。
かすみは春明が歩いてくるのを見て、喜んで跳んだりはねたりした。

这咖啡又温又难吃。
このコーヒーはぬるい上にまずい。

弥兰又不能使用难的字句又他的文章很单调。
ミリンダは難しい言葉を使えない上に、単調な文章しか書けない。

国际足球联盟每四个年开一次世界杯。
FIFAは四年に一回ワールドカップを開く。

听说位神每千个年一次下来地上。
神は千年に一度、地上に降りるのだという。
→「一次」の位置はこれでいいのかな。

冱冬堆了一书桌资料。
冴冬は机いっぱいに資料を積み上げた。

大根老师不小心撒了一只箱子馒头。
大根先生はうっかり箱いっぱいの饅頭をぶちまけてしまった。

弥兰喝光了一瓶气泡酒。
ミリンダは瓶いっぱいのスパークリングワインを飲み干した。

Composition 136


Something problematic always appears in front of us. For example; How do I make my pupils high-achieving? If I succeed in it, do pupils feel happy truly? How do I gain the confidence of the pupil's parents? How am I planning my life?
Each of them is a very tough 'inclusive problem.' There is no suggested answer about them, and sometimes we don't even know a key to solve.
However, recently I realized the following; we can avoid receiving 'failing grade' if we work with all our might. Japanese society has been still wealthy and tolerant to such an extent.
Looking back on my twenties, I felt excessive fear for an answerless problem and escaped from it too much.

 問題は常に目の前に現れている。生徒の成績をどう上げるか、成績が上がったとして生徒は幸せになるのか、どうしたら保護者に信頼してもらえるか、私はこの先どう生きたいのか、等々。
 それらはすべて骨のある「総合問題」だ。模範解答はないし、解く手がかりすら分からない場合もある。ただ、一生懸命やれば「落第点」を回避できるんだな、ということは分かってきた。日本の社会はまだその程度には豊かであり、その程度には寛容なのだ。
 20代の頃を振り返ると、答えのない問題を恐れすぎ、逃げすぎていたなと感じる。


I perhaps didn't understand the meaning of 'hard work.' I relied on only my instinct and wouldn't adopt others' merit. I believed it was carrying through my way.

 あるいは、「一生懸命やる」ということが何なのか理解していなかったのかもしれない。他人のいいところを取り入れようとせず、自分のセンスだけに頼っていたのだ。それがカッコいいことだと信じて。


I want to continue solving tsume problems because it is an excellent mental gymnastics. I also want to continue writing in foreign languages since I have kept on it for several months. If I quit it, all my efforts will come to nothing soon. Besides, I want to continue composing tanka poetries in the tanka club of OUJ because it is the field I reached at last where my creative activity can get feedback.
However, it is hard for me to do all three things with my full effort. Let me see, the priority of tanka is the lowest, isn't it? Hmmm.

 詰将棋は頭の体操になるから続けたい。外国語の練習も、せっかく何か月も続けられたのだから続けたい。やめてしまったら、努力がすぐに水の泡になるだろう。それから、放送大学の短歌会も続けたい。私にとってはやっとたどり着いた「創作でフィードバックが得られる場」だからだ。
 しかし、三つとも全力でやるのはなかなか難しい。優先度が一番低いのってやっぱり短歌なのかな…はてさて。

中文173

九千九百一十二天后,我死。
9912日後、私は死ぬ。

一百二十四天后,我的理想止。
124日後、私の夢は終わる。

多治见市的酒吧家家都很有特色。
多治見市のバーは一軒ごとに特色がある。

多治见是日本新首都,这里的模型商店家家都很有特色。
多治見市は日本の新しい首都であり、そこのプラモデル屋さんは一軒ごとに特色がある。

彩霞桌子上摆着一枚一枚的硬币。
かすみはテーブルの上に一枚また一枚とコインを並べていく。

冱冬书架上藏一本一本的书。
冴冬は本棚に一冊また一冊と本をしまっていく。

天气一天一天地冷起来了。
気候は日を追うごとに寒くなっていった。

大根这弥兰的朋友开张了一家饭馆。这儿的菜又好吃又便宜。
ミリンダの友人の大根は一軒の食堂を開いた。そこの料理はおいしい上に安い。

弥兰又肥胖又秃。
ミリンダはデブの上に禿げている。

木叶又很矮又戴眼镜,所以她不太漂亮。
木葉は背が低い上に眼鏡をかけている。したがって、あまり見栄えがするとは言えない。

我们每个月开一次短歌会。
私たちは月に一回、歌会を開く。

卯月小姐每个周开一次会议。
卯月さんは週に一度、会議を開く。

弥兰和朋友们每个年有两次卡拉OK集会。
ミリンダと友人たちは年に二度カラオケをする。

国語 6 漢字を覚えることに意義はあるか


とある学校で「漢字を覚えることに意義はあるか」という議題のディベートが行われました。以下の文章はそのようすを記したものです。読んで問題に答えなさい。


【意義がある派の生徒の主張】
 私は漢字を覚えることに意義があると思っています。その理由は2つあります。
 1つ目は、私たちが日常生活の中で現に漢字を使っているからです。新聞やインターネットのニュースを見ても、漢字を使わずに書いたものはありません。また、これから受験の①ガンショを読んだり書いたりするためにも漢字の知識は必要になります。社会に出てからのことは私にはまだ分かりませんが、きっと報告書や役所に出す書類などの読み書きにいっそう多くの漢字を使うのだと思います。
 2つ目の理由は、漢字を覚える②カテイで「覚え方」を学べるからです。例えば、漢字を何度もノートに③ウツすという体験から「見るだけで覚えられない時は手を動かしてみればいいんだな」と気づくことができます。また、書き順の通りに書くという体験からは「いつも同じ順番で作業すれば思い出しやすくなるんだな」と知ることができます。さらに、へんやつくりなどの部分から漢字が成り立っていることを理解すれば「④フクザツに見えるものでも要素に分解すれば覚えやすくなるんだな」という知見が得られます。このように、漢字の学習を通して得られた「ものの覚え方」は、他の教科の学習にも役立つと考えます。

【意義がない派の生徒からの質問】
 日常生活の中で漢字を使うと言っていましたが、(ア)私は新聞やニュースの漢字が読めなくて困ったことなどありません。仮にどうしても読めない漢字があったら、その場で調べればいいと思います。いまはインターネットで⑤ケンサクすれば漢字の読みなど簡単に分かります。「文章を読む前に漢字の読みを頭に入れておかなければいけない」というのは、昔の人の発想ではないでしょうか。
 それから、「覚え方」を学びたいなら題材は漢字でなくてもいいと思います。社会科で地名を覚えるカテイでも、理科で周期表を覚えるカテイでも、「覚え方」は身につくのではないでしょうか。他の題材に比べて漢字が⑥スグれていると、なぜ言えるのでしょうか。
 だいたい、「覚え方」を学んでもこれからの社会で役に立つとは思えませんが……(時間切れにより質問を終了させられる)。


【意義がない派の主張】
 私は漢字を覚えることに意義がないと考えています。その理由は2つあります。
 第一に、漢字を覚えていなくても困ることがほとんどないからです。パソコンやスマホで文章を書くならば、予測変換をかなりの⑦セイドで行ってもらえます。困るとしたら手書きするときくらいですが、これからはその⑧キカイもどんどん減っていくでしょう。どうしても分からない時にだけ漢字の読み書きを調べれば、それで足りるのではないでしょうか。
 第二の理由は、覚えるための労力に対して得られるものがあまりにも少なすぎるからです。漢字を覚えるのには非常に手間がかかります。少し書き順が違うだけで不正解にされ、止めやはねが違うだけで何回も書き直しさせられます。そんなことを⑨キョウヨウされて何が得られるのかというと、ただ字が読めるようになるだけです。科学や政治経済のような、社会の中で役に立つ知識が得られるわけではありません。こんなに非効率的なことがありますか。漢字を覚えるための時間で他の教科を勉強したほうが、よほどいいのではないでしょうか。

【意義がある派からの質問】
 必要な時だけ字を調べればいいと言われましたが、調べた結果が合っているとどうやって判断するのでしょうか。判断の基準となる基礎知識はしっかりと身につけておく必要があると思います。予測変換の話も同じです。⑩キカイによる変換が正しいかどうかを自分の頭で判断できないと、使いこなすことはできません。そのためには自分の頭に漢字の知識を入れておくべきではないでしょうか。
 それに、漢字を覚えるための時間で他の勉強をすると言ったって、どの教科の教科書も漢字仮名交じりで書かれています。漢字の読み書きが十分にできなければ、内容を理解することも難しいはずです。確かに漢字を覚えても知識が直接的に増えるわけではありませんが、色々な本や教科書を読めるようになります。それこそが漢字学習によって得られるものであると、私は考えます。


【問題】
1. 下線部①〜⑩のカタカナを漢字に直しなさい。

2. 生徒たちは自分が主張したいことを2つに絞って話しています。そのことにどんな効果があると思いますか。

3. 下線部(ア)のような考え方に問題点があるとすると、何でしょうか。最も適切と思われるものを選びなさい。
①自分の体験を一般化しすぎている。
②相手の主張とかみ合わないことを言っている。
③新聞やニュースに興味を持っていない。
④否定から入るのはよくない。

4. 生徒たちの話し方・考え方について、よいと思う部分を自由に挙げなさい。

5. 生徒たちの話し方・考え方について、問題があると思う部分を自由に挙げなさい。

6. このディベートの中では「どの程度まで漢字を覚えるべきか」という妥協点のすり合わせができていません。あなたは学生がどの程度まで漢字を覚えるべきだと思いますか。例にならってできるだけ具体的に答えてください。

例:青い鳥文庫に使われている漢字くらいは覚えておくべきだ。
例:Yahooニュースが読めるようになるくらいまで漢字を覚えるべきだ。

7. 問6の答えをどのように導きましたか。理由を答えてください。

8. あなたは漢字を覚えることに意義があると思いますか、思いませんか。その根拠も述べてください。

9. 問8で述べた根拠に対して、どのような反論が予想されるでしょうか。


【雑感】
 親が「漢字を覚えさせたい」と思っていて、子が嫌がっているという状況は往々にしてある。
 そういう場合は親子でよく話し合って解決すべきであり、私を板挟みにするのはやめてほしい。

……という思いから生まれた問題です(?)