Milindaの書斎

母国語と外国語を行ったり来たりしながら、自分なりに「書くこと」を追求したいと思います。

Composition 50 ROOM.NO 1301 #3


「書くことが楽しい」「書くことは人生だ」とアッパー系なことを言ってみたり、「他に何も楽しみがないから」と後ろ向きなことを言ったりしていますが、まあどちらも本当の動機だと思います。同じことの裏表なので、分ける必要もないかな、という結論に至りました。「収益化したい」というのも、もちろん本当の気持ちです。ただ、それが最大の動機ではないというだけで。

「大海君は傷ついたのかね?」
 やっと口を開いたと思ったら、刻也はさらに信じがたいことを言い出した。
「は?」
「絹川君と有馬君のことを知って、大海君は傷ついたのかね?」
「傷ついたに決まってるじゃない! 自分の彼氏がずっと浮気してたんだよ? 千夜子は自分のことをどうしたら好きになってくれるんだろうって悩んでたのに、それに対して大丈夫だって言いながら絹川は有馬冴子と……」
 ツバメはもう言葉を続けるのも嫌になり口をつぐんだ。それでしばらく間が空いたが、そこに刻也がさらに質問をぶつけてきた。
「大海君はそのことで傷ついたと君に言ったのかね?」
「確かに言いはしなかったけど……傷ついたに決まってるでしょ? 千夜子は優しい娘だもん。私に心配かけないようにって一人で全部のみ込んだに決まってる」
「……なるほど、そういう風には考えたことはなかったな」
 刻也はツバメの言い分を否定せず、それを受け入れたようだった。
「しかしそれは大海君が一人でのみ込める程度のことだったということではないだろうか?」
「さっきから八雲さんは何が言いたいんですか? だから許せって言うんですか? 絹川のしたことや、あの有馬冴子のことを?」
 ツバメは本当に頭が混乱するのを覚えた。自分だけ怒っているのがなんだかバカみたいに思えてきた。これだけ腹の立つことを平気な顔をして言ってのける刻也を見るにつけ、話す相手を間違ってしまったという思いがもたげてくる。
「有馬君のことはともかく、絹川君のことは許した方がいいのではないだろうか」
「……何ですか、それ? いい加減にしてくださいよ、本当」
「別に私はどっちでもいいが、君が大海君に友情を感じているならそうするべきだろう」
「だから、何ですか、それは?」
「大海君は許している。私が言いたいのはそのことだ。そして君の人物評が正しいとすれば、彼女は苦しみを乗り越えて、そうしたのだろう。なのに君が怒っていては、彼女にその苦しみを思いおこさせるだけではないだろうか。私はそう考えたのだが」

新井輝『ROOM.NO 1301 #3』p21-23

"Was Ms. Oumi hurt her feeling?"
After sinking into silence, Tokiya said the more impossible thing.
"What?"
"Knowing the relation between Mr. Kinugawa and Ms. Arima, was Ms. Oumi hurt her feeling?"
"Undoubtedly, she was! Her boyfriend had been in an affair all along. Can't you understand? Chiyako had been worried about how to make herself loved by Kinugawa. He told her that he loved her and was fully satisfied, but he became intimate with Arima Saeko..."
Tsubame shut up her mouth. She was so disgusted that she can't exclaim anymore. Then, after they kept quiet for a few seconds, Tokiya asked one more question.
"Did Ms. Oumi tell you that she was hurt because of that thing?"
"Surely, she didn't tell me so...but, she must have been hurt, of course. Use your common sense! Cuz Chiyako is thoughtful, she must have swallowed the negative emotion only by herself not to make me worried.
"...I see. I have not analyzed in your way."
Tokiya didn't deny what Tsubame said. He seemed to accept it.
"Approaching from a different angle, I think the negative emotion was less than Ms. Oumi's capacity so she could swallow it alone. How about my interpretation?"
"What have you been saying? Do you think I should forgive them? Forgive what Kinugawa did and that Arima Saeko?"
Tsubame realized that she was profoundly confused. Tokiya said such an insolent thing with a calm face. It seemed to be idiotic that only she was angry. She wondered if she had chosen a faulty person to speak.
"Setting Ms. Arima aside, I think you should forgive Mr. Kinugawa."
"...Why? What do you mean? Kidding is enough."
"I'm indifferent to whether you forgive her or not, but if you take Ms. Oumi as your best friend, you should forgive Ms. Arima."
"So, why?"
"Ms. Oumi has already forgiven her. I want you to recognize that. You said Ms. Oumi is thoughtful. If your assessment of her is correct, she would have gotten over torment after long consideration. I'm afraid your angry makes her remember the pain of the past."

(Readability score: 72)

【雑感】
藤沢周平『夜消える』と同じように、翻訳することよりも原文を写すことのほうが勉強になりました。具体的には

・漢字とかなのバランス
話し言葉を書き言葉に落とし込む際、助詞をどの程度まで補うか

といったあたりです。

刻也が他人のことを「〇〇君」と言っている箇所は、最初「-kun」とそのまま書いていました。サブカルチャーの翻訳ではそうすることが多いと聞いていたからです。ただ、それでは著者の意図を伝えられないと思ったので「Mr.」「Ms.」に変えてみました。
ネット辞書には「kun」の説明として
"Appended to a young man's name or nickname to indicate familiarity."
と書いてあったのですが、刻也がそんな性格じゃないことは引用文を見るだけでも分かりますよね。むしろ極端なほど生真面目なキャラクターであって、どれだけよく知っている相手でも*1絶対に呼び捨てにすることはないのです。必ず「君」をつける、いや、つけてしまうのです。というわけで、この「君」は「Mr.」「Ms.」に近いと判断しました。

ちなみに『ROOM.NO 1301』はかつて一部のファンに人気のあったライトノベルです。一番エロいラノベじゃないかと言われていたんじゃよ。「#3」はシリーズの3巻を意味しています。説明を始めたら長くなってしまいそうなので、機会があったら別の記事で書こうと思います。

*1:かつての刻也にとって、絹川健一と有馬冴子は家族に準ずる存在だった。気になったら本編を読んでみてください。

中文38


那件事我来谈谈个人的看法。
あのことについて個人的な見解を話しましょう。
→「来+V」で積極的な意志を表す。

你先坐着,我来做饭。
とりあえず座ってて、私がご飯を作るから。

谁也不敢担保那件事不会发生。
そんなことが起こらないとは誰も保証できない。
→この「敢」は日本語で「あえて」と訓読みするのと同じような意味。「勇気を持って~する」「きっぱりと~する」等。

我敢肯定她一定是故意的。
彼女はわざとやったに違いないと、私は断言します。

公交车站离这儿远吗?
バス停はここから遠いですか?

端午节还有多少天?
端午の節句まであと何日ですか?

从学校门口出去,右边就有一个小卖部。
校門から出ると、右手に売店があります。

从重庆到北京坐飞机要多少钱?
重慶から北京まで飛行機に乗ると、いくらかかりますか?

从昨天起,我就有点儿不舒服。
昨日からちょっと体調が良くない。

图书馆每天从早上九点到晚上七点开门。
図書館は毎日9時から19時まで開いている。

从老人到小孩儿都喜欢去迪土尼乐园。
老人から子どもまで、みんなディズニーランドに行くのが好きだ。
→以上のように「从」は色んな意味の「~から」に使える。

到我这儿来吧。
来な、俺様のところに。

自分用メモ37 英作文や翻訳の効果


ここ1週間くらいに感じていることをまとめてみた。

母国語と向き合う時間ができた

先月は英作文や翻訳をするだけで手一杯だった。空き時間のほとんどをそれに充てたら1日が終わってしまっていた。
いまはだいぶ慣れてきたから、翻訳でブログを毎日更新してもまだ時間が余る。この時間をいよいよ母国語での小説執筆に充てようと思う。というか、充てている。

小説のペースアップができた

小説を1時間に1000字〜1500字くらい書けるようになった。ブログではなく小説である(大事なことなので2回言いました)。
このペースはネット小説家の中では大して速くないが過去の私に比べればめちゃくちゃ速い以前は好調時で1000字/時間くらいだったから、大した進歩だ。
やっぱり翻訳や英作文をやってよかったと思う。やらなかったら以前の自分のままだった。
留意しておくべきなのは

  • これはキャラクターがすべてできた状態でのペースである(キャラクター作りの時間を含めたら実質的なペースはもっと落ちる)
  • これは推敲作業をまったく含めないペースである(推敲の時間を含めたらやはりペースは落ちる)

ということか。

なんで外国語をやったら母国語を速く書けるの?

以下、私が感じた効果を箇条書きにする。あくまで私の主観であって、何の学術的根拠もないことは断っておく。

  1. 言い回しを思いつく(思い出す)のが速くなる。
  2. 思いつかない時の見切りが速くなる。完璧な言い回しなどないことに気づいた。ある程度は「意味が通ればいいんだ」という割り切りも必要。この割り切りは外国語のほうが身につきやすい。
  3. 翻訳はただ言葉を置き換えるだけの作業ではなく「筆者が言いたいことを置き換える」作業である。訳を作る前に、筆者の言いたいことを注意深く掴む必要がある。だから読解の訓練にもなるし、母国語で書く時に「自分が本当に言いたいことは何か?」と考える習慣もつく。言いたいことが掴めていれば、迷う時間が減って速く書ける。
  4. 翻訳したのは「自分にとっての名文」ばかりである。それらをキーボードで打ち込んだこともかなり勉強になった。目で読むだけでは気づかなかった色々なテクニックに気づけた。まあ「速さ」と直接的な関係はないかもしれないが。

Composition 49 王将戦のインタビュー

この年齢まで第一線で続けてこられている理由はどの辺りだと分析されていますか?
やっぱり同世代に強い人たちがたくさんいたというのは大きな要因ではありますが、僕自身はまだまだ力を出し切れてないというのが、ずっと自分の心の中に残っています 。
僕自身、世間的に自分に対する棋士としての評価が、あまり高くないと思っているんですね 。結果を出さないことには認めてもらないので。例えば解説をしていても、僕が言ったことは、羽生さんや渡辺(明)さんが言ったことに比べたら、信用度がないわけですね。 それを僕自身も感じるわけです。でも僕が言っていることが正しいことは結構多いんだけど(笑)。勝たないと分かってもらえないわけです。認めてもらうには、実績を積み上げるしかないんですよ。 そういうフラストレーションはずっとあって。
一時期「分かる人に分かってもらえればいいや」なんて思っていたんですけど、そんな考えは甘くて。結果を残していかないと誰にも認めてもらえないわけです。だから王将戦についても、防衛できなかったので、そこまで認めてもらってはいないと思っていますね。 やっぱり4期5期と(王将位を)持っていれば、もうちょっと見方も 変わってくるんでしょうけどね。だから今は自分の力で、そういうのをねじ伏せていかなきゃいけないと思っているんです。

 郷田真隆へのインタビューから(2018年)

You have kept excellent performance as one of the top players until near fifty years old. How do you analyze the reason?

It is sure enough that I'm blessed with many rivals in the same generation. I could improve owing to the competition with them. However, I have harbored the regret that I haven't displayed the full of my ability.
I feel that Shogi fans don't highly estimate me. Unless I achieve some results, I can't get the evaluation. For example, when I'm commenting on a match, the fans don't trust my commentary very much. What I say has less confidence than what Mr. Habu or Mr. Watanabe says. Though my opinion is often correct, ha-ha. It has been my frustration for a long time. I need many more wins to make the fans rely on me.
In an age, I thought, "If I can get a few fans who can understand my style, it is enough." However, such an idea was too optimistic. A Shogi player who produces no results is appreciated by no one. Therefore, It is vexing that I could defend the Osho title last year. If I held Osho 4 or 5 seasons, the fans would appraise me more... No, a complaint is nothing helpful. Now I have to upset the low rating by myself.

(Readability score: 74)

タイトル挑戦に届きそうという感覚はご自身の中にありますか?
今期に関して言うと、王位戦は挑決まで行けたんですけど、大事なところで負けてしまったんですよね。大きな対局で結果を出せるというのは大変なことだと思っているので、総合的な 「棋力」と「気持ち」を両方上げることが必要なのかなと思い ます。
「気持ち」というところで言うと、昨年、王将リーグのインタビューで郷田(真隆九段)先生にお話を伺ったとき、前面にタイトルへの渇望を出されており、40代後半になっても衰えぬ気迫に圧倒されました。羽生先生も同様に、タイトルが欲しいという気持ちは強いですか?
そういう気持ちがなかったらすぐ落ちます(笑)。挑戦を目指す、タイトルを獲るという気持ちがなければ、王将リーグの残留すら難しいというのが現実です。
(中略)
あと年齢が上がってきたほうが切実さが増すというか、実感が増すというのがあります。たとえば20代のときだと、本当は無限じゃないんですけど「ずっとチャンスがあり続けるんだ」というような感覚を持って対局に臨めたんですよ。

 羽生善治へのインタビューから(2019年)

Do you have the solid sense that you can challenge a titled match?

This season, I could get through the final playoff. It is quite an important match to decide on a challenger, but I lost it. It is difficult to expend one's strength in a crucial game. I think I need to adjust my total power ― both 'skill' and 'spirit.'

Speaking of 'spirit,' when I interviewed Mr. Goda last year, he was full of craving for the title. His fight doesn't decline though he is around 50 years old. I could only admire his determination. Are you thirsty for getting the title as well as he, Mr. Habu?

Of course. If a shogi player loses such a backbone, he gets weaker and is defeated soon. Ha-ha. I can't stay behind the Osho league unless I target the title of Osho. It is just a fact in the Shogi world.
[omit]
Besides, the older I become, the more I realize the importance of one game. When I was young, ― for example, in the mid-twenties ― I felt, "My lifetime is infinite, so my chances of challenging the titles are infinite, too." However, it is not infinite in reality.

(Readability score: 74)

【雑感】
2つのインタビューを訳してみたのですが、リーダビリティ・スコアはまったく同じでした。「聞き取り文体」とでもいうものが共通しているからでしょうか。

インタビューの内容についてあれこれ語るのは蛇足だと思うので、控えます。原文からお二人の熱さを感じ取っていただければ幸いです。

中文37


下个星期咱们一起去可児市吧。
来週、一緒に可児市に行きましょう。
→「時点」の表現は主語の前または後に置く。

火车什么时候开呀?
马上就开。
「電車はいつ出発するの?」
「もうすぐ出るよ」

我已经两年没有回家了。
私はもう2年間も故郷に帰っていない。
→「時量=幅を持った時間」の表現は動詞の前に置かれる。実は後ろに置かれることもあるようだけど。

你想说什么就说什么。
言いたいことは何でも言いなさい。
→疑問詞連鎖。字面だけ見ると何か変だけど、「Aに当てはまるものはすべてB」という感じの文。

你想吃什么就吃什么。
食べたいものは何でも食べなさい。

共产党像太阳,照到哪里,哪里亮。
共産党はまさに太陽である。照らした所はどこでも明るくなる。
→これも疑問詞連鎖。『東方紅』という歌の一節だそうです。

还早呢,多睡一会儿嘛。
まだ早いから、もう少し寝てなよ。

你不愿意就别来嘛。
嫌なら来なくていいよ。

如果下午开会,我就早点儿回来。
午後に会議をするなら、私は早めに戻ってきます。

如果你会开车了,最想去什么地方?
もし車を運転できるようになったら、どこに一番行きたいですか?

自分用メモ36


いままで私は「練習」とか「技術練習」という言葉をしょっちゅう使ってきました。そうしたほうが意味が通じやすいと思って書いてきたのですが、もしかするとその判断は誤っていたのかもしれません。

なので、言い直します。

書くことは私の人生です。
人生のすべてが書くためにあるので、練習も本番もありません。このブログに書くことは、そしてこれから他の場で書くことも、すべてが本番です。

ぶっちゃけると目的もありません。書くことが(いまは特に翻訳することが)楽しくてやっているのだから、行為した時点で目的が達成されているのです。硬い言い方をすれば自己充足的行為です。
だから、これからも自分が楽しいと思えることを書いていくと思います。そのすべてが本番です。そのすべてが人生です。

一個だけ具体的な目標を言うなら、自分はやっぱりライターではなく小説家になりたいのだと思います。「実用」よりも創作がしたいのです。

はっきり言って「読者を楽しませる」ということが何なのかはよく分かっていません。世間の人が「小説」と思っているものとはまるで異なるものを目指しているのかもしれません。
それでも、私が「楽しい」「自己充足できる」「これが私の人生だ」と思えることを無理やりジャンルに当てはめるなら、やっぱり小説なのでしょう。

Composition 48 美濃

 私は昔、「郷里の言葉」という短編を書いたことがある。私の郷里では、「わっちんたあ、あかんわなも」というようなときは、自分たちはだめです、ということだが、それでいい気になっていると、その自分たちのなかにはお前たち、それから人間みんなということも含んでいるつもりだ、ということにしばらくして気がつく。私でさえ、どうしてこうした変に利口な郷里の人間のあつかいを、東京へ帰ってから思いあたることがある、というようなことで始まる作品で、やがて私の父と母のことに、私自身が両親からこの扱いを受けたような気がする(といって怨んでいるわけではない)という趣旨のことにつながって行く。
(中略)
 私や篠田は、でき得べくんばなるべく郷里の言葉をつかって会話をすべきであり、それをつかって偉大なる自叙伝を書き、悪い意味ではなく、「夜明け前」がそうであるように郷土を顕彰すべきだ。谷崎潤一郎の「細雪」や舟橋聖一の「白い魔魚*1」や宇野千代「薄墨の櫻」のように、よそものに掠めとられてなるものか。
 ほんとうに、彼がそう思っているかどうかは、私は知らない。そんなことはどうでもいいさ。彼だって標準語をつかって妻子や友人たちと話している。それでも、彼はいざという勝負(?)のさいには郷里の言葉をつかうというのは当然である。そのためにこそ土着の言葉というものは存在するのであって、それ以外に何の得があろうか。

小島信夫『美濃』p26-27

In the past, I wrote a short story titled 'The Dialect of My Home.' When trouble happens, the people of my birthplace says, "Wacchin-ta, akan wa namo (わっちんたあ、あかんわなも) ." That means, "We are useless and responsible for the trouble." However, it is far from a submissive attitude. The 'we' they say comprises not only themselves but also the companion they are talking to—furthermore, all Japanese people and all human beings. The outsiders don't notice the ironic style of my home. Even though I'm from Noshu, sometimes I don't see, too. Once my parents treated me in that way. I'm not bitter against them, but...
[omit]
The people from Noshu, such as Shinoda and I, should have conversations in the provincialism as far as we can. Besides, I must write my magnificent biography using the home dialect. I'll try to praise our homeland in the real sense, as Shimazaki Toson did in 'Before the Dawn.' I can't endure If I'm forestalled by foreigners, such as The Makioka Sisters by Tanizaki Junichiro, The White Leviathan by Funahashi Seiichi, and Usuzumi Cherry Blossom by Uno Chiyo.
I don't know Shinoda has the same ambition as me. It is significant. He usually applies standard Japanese to talk with his family and friends. Even so, when it comes to a quarrel, of course, he returns to our patois. To use for a dispute is the only purpose indigenous language exists. Is there anything else?

(Readability score: 64)

【雑感】
率直に言うと、小島信夫は悪文家です。引用箇所をパッと見るだけでも

  • センテンスが長いこと
  • 「という」の使いすぎ
  • 「ような(に)」の使いすぎ

は気になります。人によっては助詞「は」の重ねすぎも気になるかもしれません。他にも色々あるでしょう。ライター畑の人に校正させたらボロクソなんじゃないですかね。

とはいえ、小説というのは本来「何をどう書いてもいいもの」なので、本人が自分のスタイルだと言い張ればその通りなのかもしれません。

でも、このタイプを郷土の大作家として持ち上げるのはやめたほうがいいんじゃないかなあ……(笑) おらがところ出身の文豪が欲しいなら、坪内逍遥島崎藤村*2で十分でしょう。

本当にどうでもいい小さなこだわりですが、私は「岐阜」という言い方があまり好きではないので*3英訳のほうでは「濃州 Noshu」と書いています。

引用文の「郷里の言葉」を日本語に、「標準語」を英語に置き換えたらどうなるのかな、なんていう考えも浮かんできたり……
このまま練習し続ければ、やがては英語で1冊の本を書けるくらいになるかもしれません。それも漠然とした目標の1つではあります。でも仮に私が「偉大なる自叙伝」を編むとしたら、やっぱりを日本語を使いたいですね。

……小島信夫が「浮かんだことをつらつら書く」というタイプの作家なので、私の感想もそういう形になってしまいました(笑)

*1:The White Leviathan というのは苦しい訳。

*2:出身地が長野県木曽郡から岐阜県中津川市編入された。なお小島は引用文の中で『夜明け前』を自作の模範としている。山国の人間として藤村に共鳴するところがあったのだろう。

*3:本来は岐阜城岐阜市を指す言葉であって、美濃の他の地域を指す言葉ではないため。