Milindaの書斎

母国語と外国語を行ったり来たりしながら、自分なりに「書くこと」を追求したいと思います。

Composition 94 またプロ倫


外国語→母国語の翻訳も意外と楽しかったので、もう少しやってみることにします。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』英訳版を、前回の続きから訳していきます。

The Indian geometry had no rational proof; that was another product of the Greek intellect, also the creator of mechanics and physics. The Indian natural sciences, though well developed in observation, lacked the method of experiment, which was, apart from beginnings in antiquity, essentially a product of the Renaissance, as was the modern laboratory. Hence medicine, especially in India, though highly developed in empirical technique, lacked a biological and particularly a biochemical foundation. A rational chemistry has been absent from all areas of culture except the West.
The highly developed historical scholarship of China did not have the method of Thucydides; Machiavelli, it is true, had predecessors in India; but all Indian political thought was lacking in a systematic method comparable to that of Aristotle, and, indeed, in the procession of rational concepts.

(拙訳)
 インドの幾何学には「証明」という概念がなかった。証明は力学や物理学とともに、ギリシャの知的遺産である。インドの自然科学においては観察の手法がよく発達していたものの、「実験」は欠いていた。実験はギリシア・ローマ時代の初期にもあったが、本質的にはルネッサンスの産物だ。近代的な実験室と同じように。
 したがって医学は、特にインドで経験的な技術を高度に蓄積したけれども、生物学的な基礎づけ、とりわけ生化学的な基礎づけを欠いていた。合理的な化学は、西洋を除くすべての文化圏で見られなかったのだ。
 中国の歴史研究は本当に凄いのだが、トゥキディデス流のやり方を持たなかった(歴史を中立的・批判的に捉えなかったの意か)。インドにはマキャヴェリの先達と呼べるような人が確かにいたのだが、アリストテレスほどの体系的な政治論は欠いていた、というか合理的な概念の連鎖によって体系化することを欠いていた。


【雑感】
引用文に異論がある方もおられるでしょう。何だこりゃ、ヨーロッパ中心主義の史観じゃないか、と。確かに、今日ではウェーバーが生きていたころよりも実証的な歴史研究が進んでいるでしょうから、彼の言っていることは古くなっているのかもしれません。
ただ、別にウェーバーが西洋中心主義者だったわけではないと思います。それどころか、自分が住んでいる社会を相対的に捉えるために「社会学」という学問をどんどん深掘りしていったのです。

話がまったく逸れてしまいますが、日本が近代化できた要因についても「○○の倫理と資本主義の精神」と呼ぶべきものがあるのだと思います。
ただ「○○」に当たるのが何なのか私は知りません。朱子学なのかもしれないし、武士道なのかもしれないし、商人道なのかもしれないし、他の何かなのかもしれません。
当然、私が思いつくようなことは他の人も思いつくでしょうから、いままでにたくさんの研究が積み重ねられているのでしょうが、ウェーバーのプロ倫のような「決定版」はあるのでしょうか。自分の力では学術書や論文を漁ることができないので(ぉぃ)ここで素朴な疑問だけ表明しておきます。

中文104

在我的人生,只剩九千九百八十一日。
私の人生はあと9981日しかない。

妈妈,我捉住了一只漂亮的蝴蝶!
お母さん、きれいな蝶を捕まえたよ!

妹妹突然呼喊了:”哥哥,起开! 我杀戮不住了那小子!“
妹はいきなり叫んだ。「お兄ちゃんどいて! そいつ殺せない!」
→「V+不住」は確かに不可能を表す動詞句だが、「もちこたえられない」という意味合いになるらしいので不適当かも。

跟住前面那车辆!
前のあの車の後をつけて!

木叶请仁了:“跟住前面戴围巾的女子。”
木葉は仁に頼んだ。「前にいるマフラーした娘の後をつけて」

冱冬知道的事很多,什么问题也问不住她。
冴冬はとても物知りで、どんな問題でも彼女をやりこめることはできない。

木叶答话的事太独特,什么问题也难不住她。
木葉の答えはあまりにもユニークで、どんな問題でも彼女を困らせることはできない。
→動詞が不安。「难住」という表現はあるのか。

主任叫小大根今天早点儿回家。
主任は大根くんに「今日は早く帰るように」と言った。

小濑老师叫春明今后暂时别做短歌。
小瀬先生は春明に「今後しばらく短歌を作るな」と言った。

父亲不让景小姐去外地升学。
父親は景さんがよそへ進学するのを許してくれない。
→動詞が不安。

东常缘让了宗祇记录他讲解的事。
東常縁は宗祇に講義の聞き書きを許可した。

这个消息使她非常难过。
その知らせは彼女をとても悲しませた。

春明劈腿的事实使木叶变成病娇了。
春明が二股をかけたという事実は木葉ヤンデレ化させた。

兴奋剂使你人生崩裂了。
覚醒剤はあなたの人生を粉々にします。

(メモ)
使役動詞としてよく出てくるのは「叫」「让」「使」の3つ。

Composition 93 プロ倫(英語からの重訳)


たまには英語→日本語の翻訳もやってみましょう。取り上げるのは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。

Weber, Max. The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism
Translated by Talcott Parsons

A product of modern European civilization, studying any problem of universal history, is bound to ask himself to what combination of circumstances the fact should be attribute that in Western civilization, and in Western civilization only, cultural phenomena appeared which (as we like to think) lie in a line of development having universal significance and value.
Only in the West does science exist at a stage of development which we recognize to-day as valid. Empirical knowledge, reflection on problems of the cosmos and of life, philosophical and theological wisdom of the most profound sort, are not confined to it, though in the case of the last the full development of a systematic theology must be credited to Christianity under the influence of Hellenism, since there were only fragments in Islam and in a few Indian sects. In short, knowledge and observation of great refinement have existed elsewhere, above all in India, China, Babylonia, Egypt. But in Babylonia and elsewhere astronomy lacked―which makes its development all the more astounding―the mathematical foundation which it first received from the Greeks.

(拙訳)
 普遍的な人類史を研究するなら、どうしても近代西洋文明は一つの問いに突き当たるだろう。どんな問いかというと、「西洋文明でのみ普遍的な価値観の発展が見られるが、その原因は何に帰せられるか」というものだ。
 西洋の科学のみ、今日の私たちが有効だと認めるような段階まで発達している。
 経験的な知識、宇宙や生命に関する随想、最も深遠なレベルの哲学的・神学的知性、そういったものは西洋に限らずあった。ただ、神学を高度に発達させたことは、ヘレニズムの影響を受けたキリスト教の名誉とすべきだけど。他にはインドのいくらかの宗派やイスラムにその断片があっただけなのだから。
 話を戻す。手短に言うと、知識と観察の高度な洗練はどこでも見られた。インドでも、中国でも、バビロニアやエジプトでもだ。
 しかしバビロニアやその他の地域の宇宙観には欠けているものがあった。何かというと、数学的な基礎づけだ。それは西洋をいっそう驚異的に発展させるものであり、最初はギリシャから受け継がれた。


【雑感】
複雑すぎる英文ですね。試しに Grammarly に放りこんでみたところ、リーダビリティ・スコアは驚愕の21点となりました。私の最低記録が30点ですから、こんなに低い数字はいままでに見たことがありません。

なぜこれほど読みにくいのかというと、理由は2つ考えられると思います。1つはウェーバーによるドイツ語原文がそもそも難解であるということ。もう1つは100年近く前に書かれた英文であるということです(パーソンズがこの本をドイツ語から英語に訳したのは1930年)。

もちろん私の英語力ではこんなものをスラスラとは読めません。とりあえず英文の1センテンスを日本語訳の1パラグラフとして、ふわっと訳しています。逐語訳は無理でした。

以下、気づいたこと。

  • 「of + 名詞」の多用は日本語の直訳っぽいからやめた方がいいのかなと思ってたけど、ネイティブでも乱発するんだね。すでに別言語から英語への翻訳だからなのか。
  • 文頭に But が来てる箇所があるけど、いいんですかね?


【関連記事】
こちらの記事でリーダビリティ・スコアの最低記録を出してしまっております。

中文103


我只有九千九百八十二个日了。
私に残された時間は9982日しかない。

我腿麻了,站不起来了。
足がしびれたので、立ち上がれなくなりました。
→否定表現は補語に付く。

我吃饱了,看不懂古桥信孝老师的学艺著作了。
お腹がいっぱいになったので、古橋信孝先生の本を理解できなくなりました。
→語順が不安。

现在走,还赶得上末班车。
いま出発すれば、終電に間に合う。
→この「得」は可能を意味する助詞のよう。

现在睡,明天早上起得早。
いま寝れば、明日の朝に早起きできる。

这个汉子写来写去也写不好。
この漢字は何度も書き直しているが上手く書けない。

这个公式记忆来记忆去也记忆不好。
この公式は何度も覚えようとしているが覚えられない。

万叶集的九号歌解码来解码去也解码不好。
万葉集の九番目の歌は何度も読み解こうとしているが読み解けない。

你别老在我面前走来走去的,好不好?
私の目の前をうろうろしないでもらえますか?
→これは的構文で「在我面前」が焦点になっているということだろうか。

大家让来让去,都抢着收钱。
どうぞどうぞと言い合いながら、みな争ってお金を稼ごうとする。

大家让来让去,都不射门了。
みな譲り合って、誰もシュートを撃たない。

大根老师借给我二百块钱了。
大根先生は私に200元を貸してくれた。

别忘了用支票寄给大根老师。
小切手で大根先生に送金するのを忘れないでね。

春明送给木叶一个生日礼物。
春明は木葉に誕生日プレゼントを贈る。

木叶说得很明朗了:“这是我还给你的人情。”
木葉はとても朗らかに言った。「これは私のお返しの気持ちだよ」

中文102

我只有九千九百八十三个日。
私に残された時間は9983日しかない。
→もしかしたら「个」って必要なのかも、と思って付けてみた。

合上巴掌祈祷一会儿吗。
手を合わせてしばらく祈りなさい。

那对双胞胎兄弟都考上了耶鲁大学。
あの双子の兄弟はどちらもイェール大学の入試に合格した。

那对双胞胎姐妹都考上了巴黎大学。
あの双子の姉妹はどちらもパリ大学の入試に合格した。

四叶慨叹了:“哥哥突然迷上了电脑游戏。"
四葉は嘆いた。「兄が突然テレビゲームに夢中になってしまった」と。

弥兰突然迷上了家庭菜园。
ミリンダはいきなり家庭菜園に夢中になった。

这个学期我们学得完这个课本吗?
私たちはこの教科書を今学期で学び終えることができますか?

本年度春明和木叶学得完《古今和歌集》吗?
春明と木葉は『古今和歌集』を今年度で学び終えることができますか?

太热了,晚上一直睡不好。
暑すぎて、夜はずっとよく眠れない。

太冷了,晚上一直睡跟很多布偶。
寒すぎて、夜はずっとたくさんのぬいぐるみたちと寝ている。

黑板上的字,他都看得见。
黒板の字が彼にはすべて見える。

显示器上的字,我看得不清楚。
モニターの字が私にはよく見えない。

我再也走不动了。
もうこれ以上は歩けません。

很多外国人吃不惯纳豆,不过斯托伊科维奇纳豆吃得非常喜欢。
外国人の多くは納豆を食べ慣れない。しかしストイコビッチは納豆を非常に好んで食べる。

前面正在修路,过不来。
この先は工事中だから、通れないよ。

罚球区里正在景景,边线近旁正在心心。春明能跑不动了。
ペナルティエリアの中には景ちゃんが、サイドラインの近くには心ちゃんがいる。春明はどこにも走りこむことができない。

Composition 92 スペイン流サッカーライセンス講座


ランデル・エルナンデス・シマル著 倉本和昌訳
『スペイン流サッカーライセンス講座』p85

 サッカーには知覚―判断―実行のプロセスがあるのというのは何度も述べさせてもらいました。実はサッカーの試合で起こるミスも三つの種類があります。それが知覚のミス(見えているか、いないか)、判断のミス(見えているが、選択を誤った。または最善の選択肢ではなかった)と実行のミス(キックミスやコントロールミスなど技術的なミス)です。
 知覚も判断も現象としては現れず、目に見えません。つまり、それは選手の頭の中で起こっていることです。さらにサッカーの試合で起こっているミスの7割*1は知覚と判断のミスであり、実行のミスではないのです。よって選手の頭の中を鍛えることが非常に重要になってきます。

As I repeatedly mentioned above, there is a series of three processes in football; perception, judgment, and practice. According to that, we can categorize many mistakes made in football games. The first one is an error of perception. In this case, a player cannot see what happens around him. Second, a fault of judgment. A player can recognize a situation in the field but cannot interpret correctly. And then, the final one is a mistake of practice. Technical deficiency causes this type of failure, such as miskick or poor control.
Neither perception nor judgment doesn't appear as a visible phenomenon. It develops in a player's brain. Besides, the problem of perception or judgment makes over 70 % of mistakes in football games. Therefore, it is crucially important that a coach trains up the thinking ability of players.


同書p94より。
※これは著者シマルの意見ではなく、ルイス・フラドゥアという指導者の発言。

 サッカーは日々進化し続けています。ドリル形式の反復練習は今では複合的練習の中に組み込まれ、グローバルな中で*2技術要素を練習する方法が取られています。以前はドリル形式で達成していた目的も、複合的練習で同じ目的を達成することも*3できるようになっているからです。
 ドリル形式の利点は、短期間でより多くの頻度を行い*4、目的を達成できること。しかし、そのときには、プレー解釈や判断の要素はまったく刺激されないことになります。ドリル形式の練習では、選手がどのようなミスを起しやすいか、苦手かを見分けるのに役立ちます。(中略)
 例えば相手をかわすドリブルができない場合、その問題の原因がコーディネーション*5にあったとします。そのようなとき、コーディネーションを改善するために純粋にドリル形式の練習で反復させます。しかし、その選手がドリブルをいつも相手ディフェンスのカバーが入っているのに行ってしまうという問題だった場合、その原因は知覚なので、そのときにはドリル形式の練習は必要ないわけです。

Football advances without stopping. Coaches used to drill players in technique, but nowadays, complex global training has replaced repetitive exercises. That new training enables players to learn various skills that were acquired through drills in the past.
Of course, the drilling discipline also has merit. It consists of standardized processes, so players can repeat training more frequently in the short term and solve technical problems. On the other hand, it never stimulates the players' thinking ability for judgment and interpretation. We should use it to grasp a weak point of each player. [omit]
For example, suppose that a player cannot dribble the ball past the opposition. If this problem results from his clumsy coordination, you may suggest the player doing the normalized drill.
However, that is not always the correct choice. In some cases, the cause that his dribble fails is not the coordination but the perception. For example, suppose that he cannot sense the other opponent covers behind the frontal one. When you advise such a player, you have to improve his cognitive faculty, and there is no need for drilling lessons.

※英文全体のリーダビリティ・スコアは60。アプリ曰く、最低でも15歳くらいの教養がないと読めない、頑張ってもっと読みやすくしろ、とのこと。


【雑感】
スペイン語から日本語に訳された文章をわざわざ英語にしています。この行為に「生産性」はないのかもしれません。でも私の中に知識と経験が残ります。

私は少年たちにサッカーではなく勉強を教えているわけですが、それにも通じることが書いてあると思いました。

  • ミスにも種類がある。どんなミスなのかを知るために、選手(生徒)の頭の中を想像しなければならない。
  • ドリル形式の練習をやるなら、苦手を克服したいとき。何を克服したいか意識すること。

この辺は重要ですね。

*1:原文ママ。前の段落で「三つ」と書いた時は漢数字を使っている。

*2:このグローバルというのは「包括的な」くらいの意味だろう。

*3:原文ママ。上に「も」があるので、ここは「達成することが」でよいのではないか。

*4:原文ママ。意味は通じるが、「頻度を行う」という表現は気になる。「短期間でより多く反復し」くらいでいいのでは。

*5:身体の各部分が連動しているか、あるいは視覚と身体操作が連動しているか、ということだろう。

中文101

我只有九千九百八十四日。
私に残された時間は9984日しかない。

那个从体育馆走出来的高个儿是不是你哥哥?
体育館から出てきたあの背の高い人は、あなたのお兄さんですか?

那个在咖啡馆工作着的少女是不是春明童年时代的朋友?
茶店で働いているあの少女は、春明の幼なじみですか?

马拉松运动员一个一个地跑进广场来了。
ラソンランナーは1人また1人と広場に駆け込んできた。

弥兰一日一日地汉语写得很熟练。
Milinda は1日また1日と中国語を書くのが上手くなっている。
→とか言いつつこの文も語順が不安なんだけど。

我最近开始看园艺的书和当代短歌的书。还想参考长崎县的历史。我知道打入这样不好。
最近、園芸についての本と現代短歌についての本を読み始めました。それから長崎県の歴史も調べたいと思っています。こんなに手を広げるのはよくないと分かってはいるのですが。

别忘了明天给我发封邮件来。
明日、私への手紙を忘れずに出してね。

她从手提包里拿出一把水壶来了。
彼女は手提げかばんの中から水筒を取り出した。

今天我没带手机来。
私は今日スマホを持ってきていない。

爸爸买回来一只烧鸡。
父が鳥の丸焼きを買ってきた。

妈妈做了一头烧乳猪。
母が子豚の丸焼きを作った。

他一舞蹈,大家就笑起来了。
彼が踊りだすやいなや、みんなが笑いだした。

景小姐一出现,木叶就不高兴起来了。
景さんが現れるやいなや、木葉は不機嫌になった。

外边下起雨来了。
外では雨が降り始めた。

闭上眼睛休息一会儿吧。
目を閉じてしばらくおやすみなさい。